もし「フェミサイド」を防ぎたいと望むなら
小田急線で起きた無差別刺傷事件が「フェミサイド」(女性に対する憎悪犯罪)なのではないかと、メディアやSNSを中心に騒がれている。
確かに逮捕された容疑者は「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」などと供述しており、犯行の動機の一端に「女性に対する憎悪」が存在する可能性は否定できないだろう。
ただし、「通り魔的犯罪の犯行決意は極めて刹那的に下される」という厳然たる調査事実もある。法務省によれば無差別殺傷事犯の過半数が事件当日に犯行を決意しており、このような犯罪の多くが極めて衝動的かつ刹那的に行われることがわかっている。
52人中32人と,過半数が犯行当日に犯行の決意が芽生え,同日に決意が確定している。犯行前1週間から当日までに犯行を決意した者が50人とほとんどであり,長期にわたり犯行を計画していた者は少ない。また,犯行の決意の芽生えから確定までに日数を要しているのは14人であり,ほとんどは犯行の決意が芽生えてから,短期間でその決意が確定している。
(引用:法務省「無差別殺傷事犯に関する研究」)
「憎悪犯罪」「思想犯罪」と呼びうるような、思想的なバックボーンや計画性が本当にそこにあったのか。現在の報道だけで全てを断定することはできないだろう。
2008年に秋葉原無差別殺傷事件が起きたとき、メディアは「派遣労働者による資本主義社会への反乱」であるともてはやした。しかし実際のところ、犯人の動機は「ネットの掲示板を荒らされたこと」であり、当初メディアが大々的に報じた犯行の動機はその全てが全くの的外れだった。
また厚生省事務次官に対する連続殺人事件が起きたときも、メディアは「年金を始めとする厚生行政に怒りを抱いた思想犯ではないか」ともてはやした。しかし実際の動機は「30年前に飼い犬を保健所で安楽死されられた」という極めて個人的なものであった。
このように、凶悪犯罪が起こるとメディアはすぐそれを「社会化」したがるが、実際の犯行動機は極めて個人的なものであることが多い。現在この事件は「女性に対する憎悪犯罪」であるとほとんど断定されているが、真相を知りたいと思うなら安易な断定ではなく注意深く捜査を見守り続ける忍耐力こそが必要だろう。
さて、というわけで本件が「フェミサイド」であるかどうかはまだわからない。しかしこの事件がもしも本当に女性に対する憎悪犯罪であるならば、この事件に対するメディアの反応こそが次の憎悪犯罪を生むだろう。
思想犯はなぜ生まれるのか。
それは、犯罪を犯すことでしか自らの思想を表現できないからからだ。
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