なぜ社会学はここまで嫌われるのか
社会学という学問分野は、どこかおかしいんじゃないか?
そんな声が少しずつ高まりつつある。
例えばGoogleで「社会学」と検索すると、サジェストワードに出てくるのは「胡散臭い」「学問ではない」などの辛辣なワードだ。
同じ社会科学である「政治学」「経済学」で検索してもこんな辛辣なワードは出てこないし、「哲学」「歴史学」などの人文科学のワードでもこのようなサジェスチョンはなされない。
どうやら人文科学、社会科学の中で、「社会学」は断トツで胡散くさいものと見做されているようだ。少なくともインターネット上では明らかにそのように扱われている。
このような風潮を社会学の関係者は重々承知しているようで、つい先日も悲鳴のような社会学徒のツイートが話題になっていた。
自分が従事する分野の評判が悪いことを嘆き悲しむ気持ちはわからなくもないのだが、「つらいです」「やめてください」「がんばってるんです」「理解してください」程度のことしか言えないというのはあまりに情けないとも思う。
いみじくも東京大学のPh.D Studentという「学者の卵」なのだから、社会学は巷で言われているようなものじゃないと論駁したいなら、論拠のひとつも挙げて反論すべきだろう。案の定、彼に寄せられた反応は極めて辛辣なものばかりだった。
社会学は誰に嫌われているのか
さて、なぜ社会学はここまで嫌われてしまったのだろう。
まず直近のわかりやすい理由として、一部の社会学者たちが死ぬほどネット上で嫌われているというのがある。
書店への示威行為やリンチ事件などを起こした左派政治団体「しばき隊」と深く関与していた北田暁大(東京大学大学院情報学環教授)
「キズナアイ」などの人気キャラクターの社会事業への登用をフェミニズム的観点から批判して炎上し、またトランスジェンダーの排除を肯定する「現代思想」紙の論文でも大炎上した千田有紀(武蔵大学社会学部教授)
そして説明不要、上野千鶴子(東京大学名誉教授)
上記のような大御所以外にも、アニメ「銀河英雄伝説」に関連して炎上した津田正太郎(法政大学社会学部教授)や、千田と同じく表現規制の文脈で非難を浴びた小宮友根(東北学院大学准教授)、また大学教員ではないものの数え切れないほど炎上し続ける古市憲寿などなど、ネット上で嫌われる社会学者は枚挙に暇がない。
もちろん社会学者なんて何百人もいるわけだから不祥事を起こす人間が多少混じることは仕方のないことだとも思うのだが、流石にこれはちょっと数が多すぎないですか?と思いたくなるのは筆者だけではないだろう。
また「炎上」する社会学者たちが、それぞれ全く別個のテーマで炎上していることも興味ぶかい。
ここ数年は確かに表現規制問題による炎上が目立っているが、北田暁大によるしばき隊関連の炎上や、千田由紀によるトランス排除論文の炎上、上野千鶴子による自閉症差別問題による炎上など、必ずしも「表現規制」だけが社会学者の鬼門というわけではない。
また「炎上」する話題が政治的に偏っているわけでもないというのも興味深い。北田のしばき隊に関連する問題はどちらかというと右派からの批判を受けていたが、表現規制問題では左右を問わぬクリエイターたちから批判されているし、千田のトランス排除論文や上野の自閉症差別発言ではそれぞれの当事者から批判されている。
つまり社会学の嫌われ方というのは、「一部の社会学関係者がTwitterで失言した」から起こったわけでもなく、「偏った党派が執拗に攻撃している」というわけでもない。
右派左派を問わず、広くみんなに、社会学者は嫌われているのだ。
社会学が嫌われる二つの理由
社会学が左右を問わず幅広い層から、根強い反感を買うのはなぜなのだろう。
社会学のインナーサークルに特有の文化的な問題がひとつ、社会学が直面する構造的な問題がひとつ、計二つが社会学に対する強烈な反感の原因となっている。
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