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論点整理:「モテと暴力性」
何やらまたもや「モテと暴力性」の話題が再燃しているらしい。
この話題が燃え続けるのは、多くの人が抱きがちな「公正世界信念」を危うくする主張だからだろう。男女の性愛は美しいものであって欲しい。それが暴力性と、暴力に惹かれる卑しい心性の結合であってなどほしくない。それは当たり前の感情で、反発を覚える方がむしろ人として真っ当であろうと自分などは思ったりもする。
さらに「暴力性」という言葉がある種の曖昧さを有しているのもまた事実だ。そのファジーさゆえに「暴力性とは積極性の言い換えに過ぎないのではないか」「暴力ではなく暴力を振るえる地位が要因だ」「非モテが暴力を振るってもモテるはずがない」という反論もまた絶えない。
そこで本稿では「モテと暴力性」にまつわる筆者の主張を改めて整理してみようと思う。本稿を読んでどのような意見・感想を抱くかは個々人の自由だ。各人が信じたいことを信じれば良い。
狭義の「暴力性」はモテる
前述のように「暴力性」とは広い意味を持ってしまう言葉だ。しかし「暴力性」と聞いて多くの人が連想するのは反社会的勢力に代表されるような暴行、障害、殺人などの狭い意味での「暴力」だろう。それらをここでは「狭義の暴力」と呼ぶ。果たして、そのような「狭義の暴力」はモテに繋がるのだろうか。
どうやら、繋がってしまうらしい。
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