Colaboのコンドーム配布は「正しい」けれども「間違っている」
Colaboが保護女性にコンドームを配布している件があまりよくない炎上の仕方をしているので、「メンタルヘルス領域の支援者」としての立場からコンドームを配ることの是非や支援の現状について解説しようと思います。
筆者の立場をざっくり説明すると「セックスワーカーにコンドームを配布する支援は世界標準のもので有効性がある」とは認識しているのですが、「Colaboの支援手法は肝心のところを見落としているのでむしろ当事者を危険に晒している」とも考えています。
それぞれの理由について、以下で詳しく綴っていきましょう。
「ハーム・リダクション」という考え方
ハーム・リダクションとは「苦痛の軽減」を意味する対人支援についての考え方です。もともとは薬物依存の当事者を対象に考案されました。
1980年代、米国やヨーロッパでは麻薬中毒者による「注射器の使いまわし」が深刻な社会問題となっていました。麻薬それ自体も問題ですが、深刻視されたのは感染症の流行です。薬物中毒者が仲間内で注射器を使いまわすことは、HIVの流行という副産物を生みました。薬物依存当事者は麻薬の害だけではなく感染症の害にまで晒されることになったのです。
当然、「違法薬物の問題をなんとかしよう」という社会的風潮が生まれました。HIVなどの感染症が広まれば薬物中毒者だけでなく全ての人々が危険に晒されます。こうして「麻薬戦争(war on drug)」がはじまりました。麻薬カルテルに対する軍事的アプローチ、国際的な取り締まり強化、薬物使用の厳罰化、薬物依存症の治療法開発…。海外の映画やドラマなどでもしばしば取り上げられる題材ですが、20世紀後半の欧米社会にとって「麻薬との戦い」は最大の社会的関心とも言えるものだったのです。
しかし、麻薬との戦いは敗北に終わりました。
巨額の資金を投じ、軍事力まで行使したにも関わらず、麻薬犯罪を根絶させることも、薬物中毒者を減少させることも、欧米社会は失敗してしまったのです。「麻薬戦争」の敗北は薬物依存に対するアプローチの方針変化の必要性を欧米の人々に痛感させました。
そのような状況下で生まれたのが「ハーム・リダクション」(苦痛の軽減)という考え方です。
それまでの欧米社会は薬物依存症者に対して厳罰によって対応してきました。薬物中毒者を犯罪者として取り締まり、治療の場でも「禁断症状が収まるまで独房に監禁する」などの強硬策が採られてきたのです。しかし先ほどお話したように、これらのアプローチは効果が見られませんでした。
ハームリダクションとは問題行動に対してある種の寛容さをもって対処する方策です。たとえば薬物依存症者を警察に通報するのではなく治療につなげる。ヘロイン中毒者に清潔な注射針を配り感染症を防止する。治療の場でも「薬物の否定」ではなく「薬物の害の低減」を目指す。そうしたアプローチを取り入れることで、厳罰や強硬策では見られなかった効果が少しずつ薬物依存症者に見られるようになっていったのです。
ハーム・リダクションとしてのコンドーム配布
Colaboが行っている「若年セックスワーカーにコンドームを配る」という支援も、このハーム・リダクションの文脈に位置づけられるものです。
セックスワークはそれ自体が多くのリスクを有する営為ですが、コンドームなどの避妊具をつけないことでリスクはさらに増大します。薬物依存症者による「注射器の使いまわし」が感染症拡大という結果を招いたように、「コンドームを用いないセックスワーク」は望まぬ妊娠や性感染症などの深刻な結果を招いてしまいます。
だからこそ、そのコンドームがセックスワークに用いられるとしても、セックスワーカーにコンドームを配布することは支援として極めて重要なのです。
「いやコンドームを配るんじゃなくてそもそも売春するのをやめさせろよ」という感情を抱くことも十分理解できるのですが、「麻薬戦争」の敗戦が教えるのはそのような強硬的なアプローチは極めて機能しにくいという現実です。頭ごなしに否定し禁止するのではなく、問題行動をある程度受容し、そこから支援につなげていく───。このようなアプローチが現在のアディクション支援では基本的な考え方となっています。
しかし…
ここまで書いてきたように、「セックスワーカーにコンドームを配布する」という支援の在り方を自分は100%肯定します。
セックスワークにはアディクションと極めてよく似た面があり、アディクション領域で用いられるハーム・リダクションの考え方を導入することは高い効果をあげると期待できるでしょう。
しかし、残念ながら、Colaboのハーム・リダクションは機能しないだろうとも自分は考えています。それどころか保護児童をさらなる危険に晒す可能性が高いでしょう。なぜなら
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