見出し画像

noteは出版不況にトドメを刺すかもしれない

ブログがバズったり、Twitterのフォロワーが多かったりすると、大抵は出版社から「うちから本出しませんか?」みたいなオファーが来る。

僕が本格的にインターネットでバズり始めたのは2012年にブログを始めてからなのだが、それから2020年の現在に至るまでの8年間で、既に10社以上の出版社から「うちで本を出しませんか?」的なオファーを頂いてきた。今でもたまにお声がけ頂くことがある。

そのようなありがたいオファーを多々頂きながら、今まであまり商業出版に乗り気になれなかった。

理由は極めて単純で、儲からない広まらないからだ。

書き手の欲望は、大別すると以下の3つに分類できる。

・金を稼ぎたい
・多くのひとに読まれたい
・いいテキストを書きたい

これは時代を超えた、テキストの書き手の普遍的な欲望と言えるだろう。

今までの時代は、出版社から本を出すことが、この3つの欲望と直接的に繋がっていた。

ベストセラー作家になれば大金持ちになれたし、情報インフラを新聞社と出版社が独占していた時代は「多くのひとに読まれる」ことは商業出版以外の方法ではほとんど不可能だった。出版黄金時代には敏腕編集者が多々存在していて、書き手としてレベルアップするためにも出版というプロセスは必須だった。

今の時代はどうだろうか。

自分には、この3つの欲望を叶えるために出版社が大きな役割を果たしているとはとても思えないのだ。


本を出しても儲からない

まず、本を出しても儲からなくなった。

画像1

出版不況は本当に深刻で、ピーク時の1990年前後から2020年現在を比べると、販売部数は半分以下まで減少している。特に雑誌の売上は1/4以下だ。

このトレンドが1990年代、つまりパソコン普及時代から始まっているのは偶然ではないだろう。コンテンツ産業が人間の可処分時間という有限のリソースを奪い合う根源的なゼロサム市場である以上、あるコンテンツが興隆すれば他のコンテンツは衰退する。

つまりパソコンやスマホが普及し、「インターネット」という巨大コンテンツが誕生したことが、出版産業を深刻に苦しめ始めたのだ。

しかしそれでも、90年代からゼロ年代はまだマシだったのかもしれない。というのはインターネット黎明期は嫌儲文化が根強くあり、WEBのコンテンツは無料であるべしという規範が強い時代だったからだ。

よって、出版社はユーザーの可処分時間というリソースは奪われても、コンテンツの書き手という人的リソースを根こそぎ奪われるところまでは行かなかった。テキストサイトでPVを稼いでも金にはならない。この時代のライターは「ウェブで有名になって商業ライターとしてデビューする」というルートが主流で、つまり出版社はコンテンツの書き手をリクルートし続けることができたからだ。

これは著述家・ライターたちの深刻な低賃金化を招いたが(市場が縮小してるのに人材供給がそれほど減っていないのだから当然そうなる)、出版社は彼らの痛みには寄り添わなかった。泰然とそれまでの経営を続けていた会社がほとんどだろう。

この出版不況に対して、出版社は出版点数を増やすという方向で対応しようとした。本が売れないなら、とにかく売れる本を見つけるために色々な本を出してみろ、というわけだ。

画像2

その結果何が起きたかと言うと、初版部数の深刻な落ち込みだ。

大手出版社が、ある程度の実績(特定分野での地名度やSNSフォロワー等)を持つ著者の書いた本を出す場合でも、現在の初版部数は5000部程度であることがほとんどだ。これはビジネス書や自己啓発書の場合の数字で、新書や小説や専門書はより悲惨な数字になる。

初版部数5000部の場合、著者にいくらお金が入るかを計算してみよう。

一般的な印税相場が5%~10%、間を取って8%とし、本の単価は1400円と仮定しよう。

1400×5000×0.08=560,000

しめてお値段56万円

あなたはこれを多いと感じるだろうか、少ないと感じるだろうか、筆者はめちゃくちゃに少ないと感じている。

一般的な単行本は、文字数にして7万~10万文字程度は必要だ。構想・企画・取材・執筆の時間を鑑みると、筆の早い書き手がフルタイムでコミットした場合でも3ヵ月から6ヵ月くらいは普通に時間を要する。

もちろん本は自分ひとりで創るものではない。担当編集者を始めとしたステークホルダーとの打ち合わせやら、修正依頼やらと色々な手間がかかるし、もちろん資料を揃えたりや取材に行くのにもコストがかかる。

しかもこれは大手出版社からある程度の実績がある書き手が本を出す場合のシミュレーションだ。無名の書き手が中小出版社から本を出す場合は、当然より厳しい条件に晒される。

はっきり言って、マネタイズという側面から見れば、書籍出版よりもコンビニでバイトでもした方がよっぽどマシなのだ。もちろん重版がかかれば発行部数は伸びていくわけだが、重版率は1割程度と言われており、かなり分の悪い賭けだと見なす必要がある。

つまり徹頭徹尾、本を出しても儲からなくなったのだ。

しかし自分が商業出版を忌避する理由の最大のものは、実はここにあるわけではない。


本を出しても広まらない

「儲からない」問題よりもさらに深刻なのは「広まらない」問題だ。

著述業のような因果な商売を選んでしまったひとの多くは、実際のところ金銭目的のひとは少なく、自分の考え・思想・理想・物語・怨念、そういうものを世に広めたいというモチベーションで動いているひとが大半だろう。

そうした人たちにとって、現在の商業出版にはほとんど魅力がない。

なぜなら単純に、本を書いてもほとんど読まれないからだ。

かつての新聞社と出版社がテキストメディアを支配していた時代であれば、本を書くことはそのまま世に自分の思想を広めることと同義だった。

しかし現在、書籍出版が衰え、それでいて出版点数だけはいたずらに増やし、初版部数がますます細くなってしまった現状だと、紙の本を出しても世の中には何のインパクトも与えず、友人知人から祝福される以外はほとんど黙殺されるというケースがほとんどだ。

これには出版社の広報力・販売力の絶望的なまでの低下という要因も絡んでいる。本を売るための独自の広報・販売戦略をしっかり持っている出版社は驚くほど少ない。新聞広告を出して、書店に営業をかけて、献本リストに本を送って、それで終わりだ。出版と絡めたリアルイベントや、インフルエンサーマーケティングなどを提案できる編集者はほとんど居ない。

むしろ現在は出版社ではなく著者の側が積極的に広報に力を入れているというのが現状だろう。特にSNSのフォロワーが多いインフルエンサーはそれが顕著で、イベントを企画したり、様々な形で告知を行ったりと涙ぐましい努力をしている。その結果、出版社の側から「もっとTwitterで告知してください」などとせっつかれることすら良くある話だ。

広報や販売など執筆以外の仕事を出版社の側が引き受けるからこその印税率10%という数字なのだが、執筆以外の広報やマーケティングまでもが著者の仕事になるなら、印税率は引き上げるべきではないか?と個人的には思うのだが、そのような話は一切聞いたことがない。

「本が売れない」のは時代の流れかもしれないが、「本を売ろうとしない」のは単純に出版人の怠惰だ。出版点数が増加したことで編集者が1つ1つの企画に投入できる作業リソースが減少しているという側面は確かにあるが、それは完全に出版社側の事情であり、著者である書き手の事情ではない。

なんというか、インフルエンサーに本を書かせて、インフルエンサーのフォロワーがそれを買うという仕組みなら、インフルエンサーにとってそれは既に獲得している読者に本を売っているだけの話で、自分の書いたテキストを新しい読者層に「広める」ことには全く繋がっていないのだ。「広がらない」というのはそういう意味で、はたして膨大な労力を投入してまで商業出版に踏み切るべきかに自分が躊躇してしまう理由の最大のポイントはここにある。

正直なところ、商業出版によって新しい読者層を獲得したという話はほとんど聞いたことがない。編集者に出版のメリットについて尋ねると大抵「新しい読者層」的な答えが返ってくるのだが、商業出版という膨大な投入コスト量に見合うリターンを得られた話をほとんど聞いたことがない。

ここまで説明してきた話は、正直なところある程度実績があるインフルエンサーやWEBメディアの書き手にはほとんど共有されていて、故に最近は商業出版に前向きな書き手はほとんど絶滅危惧種に等しい状態と言える。

もちろん書籍出版が未だに「箔」として通用するレガシーな分野の書き手(主に学者)や、著述業以外に本業のビジネスを持っていてそれの宣伝戦略として商業出版を利用するタイプの書き手(主に経営者)ははしぶとく残っているわけだが、著述業をメインの収益とするタイプの書き手はもうほとんどが「商業出版」という営みから半ば撤退していると考えて良いだろう。

そんな彼らは今どこに行ったのだ。

そう、noteである。

noteは儲かる広がるのだ。これが。


noteは儲かる

売上金額の公開はnoteの規約違反なので詳細は省くが、あくまで自分の場合、商業出版と比べてどれほど利益率が高いかの概算をお伝えしよう。

ここから先は

2,711字
週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

狂人note

¥1,000 / 月

月額購読マガジンです。コラムや評論が週1-2本更新されます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?