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「トランスジェンダーの性別変更」について最低限知っておくべきこと

先週公開の前編では、第二派・第三波フェミニズムの流れと、トランスジェンダーが「人権」のひとつとして認められるまでの経緯について解説した。

軽くおさらいすると、

まず第一派フェミニズムにおいて市民権における男女平等が達成され、第二派フェミニズムにおいては性革命を通じて「心の性別」(ジェンダー)という概念が強く否定されるに至った。そこからさらに発展した第三波フェミニズム(含むクィア理論)は、「心の性別」だけでなく「身体の性別」も虚構であると主張し、ついには男らしさ・女らしさという内面(心)の問題だけでなく、物質的・身体的な性別も自由に自己決定されるべきだという考え方が浸透していった。

引用:日本人が知らないトランスジェンダーの歴史

…というお話について、1940年代から1990年代までのおよそ50年ほどの歴史を簡単にまとめさせて頂いた。

後編となる本稿では、女性用スペースの利用、トランスジェンダー法律上の立ち位置、未成年者の性別移行、就学や就労における権利などの、トランスジェンダーを巡る現代的論争の成立過程について解説していこう。時代は1990年代から2020年代。いま盛んに議論されている諸問題は、こうした経緯によって前衛化されていった。


性医学の進歩と法整備

前編ではクィア理論の成立によってトランスジェンダー概念が確立されていった経緯について説明した。

とは言っても、トランスジェンダーがすぐさま市民権を得たわけではない。確かに学術界では「心の性別」も「身体の性別」もどちらも文化的虚構として退ける風潮が浸透していったわけだが、しかしやはり現実として「男」が「女」になることも、「女」が「男」に変化ことも容易ではなかった。

まず容姿の違いというわかりやすい問題がある。一般的に男女は大いに異なる形状をしており、言うまでもなく性器の形状も違う。さらに言えば法律面の問題もある。市民IDには出生時の性別と出生時に付けれた名前(男ならジョン、女ならスーザンなど)が銘記されており、それを自らのセクシュアリティと一致させたいという願いはトランスジェンダーの人々にとって切実なものだった。

しかし驚くべきことに、そうした問題は急スピードで解決されていった。まずはじめに生じたのが性医学の飛躍的な進歩である。

性ホルモンを人工的に合成し人体に投与すること自体は、もともと古く1950年代から実用化されていた。いわゆるドーピング目的のアナボリックステロイドなどがそれである。ボディビルディングなどを通じて「性ホルモンを外部から補充する」というアイディアは既に1960年代ごろから特に合衆国では一般的なものとなっており、その発想がトランスジェンダーに援用されるのにも時間はかからなかった。

女性から男性への性移行を目指すトランス男性(FtM)は外見的な性別を変更させるために男性ホルモンを補充し、男性から女性への性別移行を目指すトランス女性(MtF)は女性ホルモンを接種した。特に1990年代からはトランスジェンダーに向けてトランス医療を提供するジェンダークリニックが各国で増加し、誰もが気軽に性ホルモンを手に入れることが可能になっていく。

さらに生まれつきの性器を除去する性別適合手術(SRS)や、人工的に男性器や女性器を形成する性器形成手術、声を女性的・もしくは男性的に改変させるための声帯手術、乳房を除去して男性的な体形を形成する胸部再建手術なども発明されていった。もはや医学の力を借りれば見た目の性別を変更することは不可能ではなくなり、それに伴って「女装」や「男装」ではない「性別移行」という概念も一般に浸透していった。

すると法律が変わるのも早い。クィア理論の浸透と性医学の進歩はほぼ同時期に進行したが、トランスジェンダーの性別変更を認める法律が次々と制定された。早い国ではスウェーデン(1972年)やオランダ(1985年)やドイツ(1980年)、やや時間をかけた国としてもイギリス(2004年)や日本(2003年)やスペイン(2007年)など。こうしてトランスジェンダーの人々は徐々に法的権利を確立していったわけだが、ここにきて、現代にまで至るトランスジェンダー問題における最大級の争点がついに前衛化し始める。


病理化か、脱病理化か

最初に議論されたのは、

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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