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米国の「人工中絶」問題を、日本人はあまりに理解していない

合衆国に激震が走っている。おそらく、トランプ落選をめぐるゴタゴタ以来最大の政治的動乱と言っても良いだろう。米連邦最高裁が「中絶の権利」を認めた49年前の判決を覆したのだ。

これは合衆国の「今」を理解する上で極めて大きな意味を持つニュースなのだが、嘆かわしいことに本件の持つ多層的な意味を報じる日本メディアは現在に至るまでほとんど登場していない。「アメリカで人工中絶が禁止された」などと、そもそも事実とは全く異なる見当違いのデマを垂れ流すメディアやインフルエンサーさえ少なくないのだ。

そこで本稿では

この判決で何がどう変わるのか?
なぜこのニュースで全米は沸騰しているのか?
どんな人々が人工中絶に賛成/反対しているのか?

という基本的な知識について、なるべく筆者の主観を交えずまとめていこうと思う。「中絶の権利」に好意的な方も、批判的な方も、よくわらないという方も、まずは目を通して頂ければ幸いだ。


連邦主義 vs 州権主義

まずは合衆国の統治システムについて基本的な知識を確認しておこう。というのもアメリカ合衆国は「州の権限が強力な連邦制」という世界的にも特殊な分類に入る統治システムを採用しているからだ。

まず、米国には「州政府」と「連邦政府」が存在する。ただしこの二者は本邦における地方と中央のような上下関係にあるわけではない。州政府は連邦政府の下部単位ではなく独立した主権を持ち、立法権・行政権・司法権を備えた一種の「独立国」とでもいうべき権利を合衆国憲法によって保障されている。

つまりこれがどういうことかと言うと、合衆国においては州ごとに異なる法律を作ることができる。これは刑法や税法のような極めて重要な法律にまでおよび、たとえば死刑制度なども存続する州と廃止する州でそれぞれ分かれているし、消費税率(sales tax)も州ごとで大きく異なっている。

このような州の強力な権限は、当然のことながら多くの政治的対立を生む。州の自治を重視する州権主義者と、連邦政府の権限を拡大すべきだとする連邦主義者の対立。これは米国政治の通奏低音として常に流れ続けてきたと言えよう。なお日本人からは真逆に思えるかもしれないが、合衆国においては州政府(地方)の権限を擁護するのが「保守派」であり、連邦政府(中央)の権限を擁護するのはどちらかと言うと「革新派」である。

さて、今回の連邦最高裁の判決に戻ろう。周知のように、人工中絶の是非は合衆国の国論を二分する重要な政治的議題であり続けていた。しかし人工中絶の権利は連邦法(今回覆されたロー対ウェイド判決)によって保障されており、州の立法権はこの問題に関与することを認められていなかった。これは州権主義者からすれば我慢ならない事態だ。

「国民の賛否が真っ二つ分かれるような重要な問題については、州政府に判断が委ねられるべきではないか?」これが保守派のロジックなのである。中絶の是非それ自体は本質ではない。国民の意見が真っ二つに分かれるような重要な問題について、州政府の立法権が及ばないことが問題なのだ。

合衆国の保守派は今回の判決を歓迎する傾向にあるが、これは彼らがみな「中絶の権利」を敵視しているからではない。州政府の立法権という米国の保守主義において極めて重要な価値観を守るため、連邦政府の(彼らからすれば)大きすぎる権限に反対するというニュアンスを強く持っている。

米国の保守主義者にとって、民主主義とは「多数派による支配」であり、各州の自治は各州の「多数派」によって決定されなければならない。その州法に不満があるなら違う州に移住すれば良い。移動の自由は連邦憲法によって保障されている。それが州権主義者のロジックなのだ。

ある意味で、保守派もまた合衆国デモクラシーの原則を重視するからこそ、連邦政府の「中絶容認」判決に反対していると言える。米国の司法問題を考えるの大前提として、この対立構造は踏まえなければならない。


中絶問題に男女対立は存在しない

メディアは人工中絶の権利を男女対立の問題として報じる傾向がある。「女性蔑視主義者のトランプによって女性の権利が奪われた」式の扇動的な報道に終始するメディアも少なくない。しかし本件は本当に「男性vs女性」という対立構造を持つのだろうか。事実関係を冷静に確認すると、全く違った様相が見えてくる。

そもそも、人工中絶の賛否に男女差はほぼ存在しない。まずは以下のグラフを見てみよう。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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