「女性のレイプ被害」が同情されない時代がやってきた
読者諸兄もご存じの通り、筆者は日本のアンチ・フェミニズムにおける「悪の枢軸」というか「元凶」というか、ともかく「1,2を争う悪いやつ」として世間からは受容されている。
まぁ、それについては特に異論はない。2010年代以降におけるネットの反フェミニズム論壇において、良くも悪くも最も目立ってしまった少数のうちの一人が自分であろうという自覚もある。
というわけで「悪のアンチ・フェミニスト」呼ばわりされることに否はないのだが、それでも自分としては「この程度で筆頭ミソジニスト扱いされてしまって良いのだろうか」と逆に心配する気持ちが最近は芽生えてきている。
つまりどういうことかと言うと、若い世代の女性嫌悪度合いがちょっと洒落にならないレベルになってきていると感じるのだ。自分は取材や講演などで若い世代の男性と交流の機会を持つことがそれなりにあるのだが、皆が皆とまでは言わないものの、筆者など及びもつかない強烈な女性嫌悪を内面化している男性が少なくないのである。
彼らと話していて特に印象に残ったことのひとつが、女性の性被害に対する冷淡さだ。なんというか、性被害にあった女性に対し「かわいそう」「気の毒だ」という気持ちをカケラたりとも有していない若年男性がそれほど珍しくないのである。
自分はなんだかんだ言って困窮者支援を経由して男性問題にコミットするようになったので、女性の性被害に対しても基本的には「気の毒なことであり、ケアや支援が行われるべきだ」という考え方を有している。
もちろん無視できない数ある虚偽申告の問題や、頭から不可視化されている男性被害者の問題、繰り返される女性支援職による男性性被害者へのセカンドレイプなど、性被害の領域において特に不遇な状況に留め置かれているのは男性被害者であるとは思っている。これらについて既存の司法や支援が冷淡な態度を取り続けているのは怠惰を超えて人倫の蹂躙であり許されざる悪徳であると強い怒りを抱いてもいる。
しかしそれはそれとして、「女性の性被害者」が存在することもまた確かであるし、彼女らに対するケアや支援が求められることについても異論はないのだ。もちろんフェミニズム・カウンセリングのような支援というより政治運動としか言いようがない関わり方は論外であるし、政治色を抜いたごく普通のトラウマケアをしてほしいとは思うのだが、そうした諸々を脇に置いた上で、女性の性被害者に対して「かわいそう」だという気持ちも「気の毒だ」という気持ちも普通に有しているのである。
しかし若い世代の男性の中には、女性の性被害者に対して慈悲的感情をほとんど見せないという方がそれほど珍しくない。もちろん筆者のリーチできる若年男性の範囲という偏りはあるのだろうが、それでも30代以降のアンチフェミニストと20代以下のアンチフェミニストではやはり著しい感覚の差異があるように思うのだ。若い世代が女性の性被害について極めて冷淡になりつつあるという観測はそこまでズレていないのではないかと感じている。
ついでに言うと、この傾向が強くなったのは特にここ1年ほどであるようなのだ。近頃はSNSでも「急にアンチフェミ系のツイートがバズるようになった」と様々な方面から囁かれているのだが、Twitterの気まぐれなアルゴリズム変更以上になにか決定的なことが起こっているのではないか───と筆者としてはしばらく前からそんなモヤモヤとした気持ちを抱えていたのである。
なぜ令和男子は「女性の性被害」にここまで冷淡になりつつあるのか。
もちろん原因は複合的なものだろう。草津市長の虚偽告発被害やサッカー日本代表の伊東純也選手の虚偽告訴被害など象徴的な事件があったことも原因のひとつであろうと思っている。しかし先日、筆者はこのトレンドを説明しうるあまりに強烈な統計的事実を発見してしまった。20代以下の若年男性の、特に「女性のレイプ被害」に対する冷淡さはほとんどこれで説明できるのではないかと思っている。
なんと驚くべきことに2023年以降の1年間で、
性犯罪の認知件数がおよそ2倍にまで急増しているのだ。
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