見出し画像

母からされた虐待をSMクラブで再現してみた話

母との「話し合い」は、必ずウィスキーの水割りを作るところからはじまる。

母はソファーに深く腰掛け、煙草に火を付け、こちらをじろりと睨む。

発せられる言葉は決まっている。

「で、どうしたいの?」

ソファーの前の床で、自分は正座をしている。

この「話し合い」が生じた原因は、恐らく塾の成績のことだ。

模試の成績が、母が思うほど良くなかった。学習態度が悪い。恐らく、そういった類いのことだろう。しかし本当のところ、何が「話し合い」のきっかけになったのかはわからない。

数か月前の「話し合い」ではそれで手痛いミスを犯した。学習態度についての「話し合い」だと思っていたのだが、8時間正座し続けた後、母とママ友と人間関係がこじれたことが「話し合い」の理由だと判明したのだ。今日の「話し合い」は何が本当の議題なんだろうか。いや、そもそも議題なんてあるんだろうか。

「塾のことよ」

今回は議題が明確になった。中学受験の対策のために通っている塾のこと、少なくともそれに関連することが「話し合い」のテーマらしい。いきなりテーマが変わることもあるが、少なくともしばらくは「塾のこと」を考えているべきだろう。

一杯目のグラスを空にして、母は二杯目の水割りを作り始めた。母が酒を飲むペースは速い。家には定期的にウィスキーボトルの箱詰めが送られてくる。家には母しかそれを飲む人間はいないと言うのに、1ヵ月程度でそれは空になる。こんなに飲んで大丈夫なのだろうかと思うが、むかしその話をしたら耳がキーンとなるほどの大声で怒鳴られ続けたので、以来一言も触れないようにしている。

「塾、やる気あるの?」

テーマがさらに絞られた。塾における学習態度を問題にしているらしい。確かに、自分は中学受験なるものにヒトカケラの情熱も抱いていない。行きたい中学校などひとつもない。地元の公立校で別に良いと思っている。やる気があるかないかでいえば、全くないという他ない。

「○○中学、行きたいって言ってたよね?」

確かに言ったことがある。5年前、確か7歳くらいの時だ。当時通っていた児童学習の教室の先生が○○中学の出身で、軽い気持ちで「じゃあ僕もそこの学校に行く!」と答えたことがある。そう言えば先生が喜ぶことがわかったし、先生が喜べば母も喜ぶ。まわりの大人が喜んでいれば、怖い目やひどい目に合うことは少なくなる。

「こんなんじゃ○○中、とても無理じゃない。どうしたいの?」

心からの正直な答えは「○○中なんて別に行きたくないし、受験にも塾にも興味がありません」だ。しかし、それを言えば母は烈火のごとく大暴れするに決まっている。なので自分は母が求めた答えを出す。

「はい、行きたいです」

別に行きたくない。

「なら、なんでこんな成績なの?どうしたいの?」

どうしたいの?が浴びせられる。母は3杯目の水割りを作っている。煙草は、恐らくもう箱半分くらいは吸い尽くしたのか。ピアニッシモのメンソールタイプ。良い香りの煙草だと思うが、後年、この香りを嗅ぐと身体がこわばるようになってしまった。

「ねぇ、なんで黙ってるの?話し合いで黙るのは卑怯だよ」

「話し合い」は黙ってしまってもダメなのだ。だから自分は、母の望む答えを必死にシュミレートする。「○○中学に行きたいです。だからがんばります」ダメだ「ならなんでこんな成績なの?」と返ってくる、「今回は悪い成績だったけど、次は必ず良い点を取ります」ダメだ「そんな保証あるの?それ前も言ったよね?」と返ってくる、「今回は体調が悪くて実力を出せなかった、次回は…」絶対にダメだ「言い訳をするな」と返ってくる上に、さらに怒りを増幅させてしまう。

「ねぇ、どうしたいの?」

正座し縮こまった自分の頭上を、母の「どうしたいの?」が無限に通り過ぎる。自分は必死に母が喜ぶ答えを考え続ける。どのような答えを返しても、この問答は続くのだと頭ではわかっている。しかし今の自分にできることは考えることだけだ。考える。考える。考える。しかし答えは出ない。沈黙することしかできない

「なんで黙ってるの?ねぇ、ちゃんと話し合いに参加して」

沈黙が長すぎた、黙っていることを叱責されるフェーズに入りかけている。なんとか母の機嫌を損ねない台詞を考える。しかし出てこない。時間の猶予はもうあまりない。何か言わなくては。何か言わなくては。何か言わなくては。何か言わなくては。

「そうやって!黙りこくって!私のことを馬鹿にしてるんでしょう!!!」

怒らせてしまった。全身が強張る。勝手に涙があふれてくる。何か言わなくては。何か言わなくては。しかし何も言うことが出来ない。何を言っても絶対に反感を買う。沈黙することしかできない。

この「話し合い」は、大体、平均して8時間ほど続く。

――――――――――――――――――――――――

成人後、僕は不登校児の教育支援という仕事に就いていた。

精神疾患に罹患して高校を中退したり、精神病院に入院したりと、まぁそれまでの間は色々なことがあったが、そんな自分も運よくなんとか成人するまで生き延び、仕事ができるようになった。

不登校児の教育支援という仕事は、教育業の中でも少し特殊な仕事だ。

なんらかの理由で学校を中退してしまったり、ひきこもりなどの状態にいるけれども、高認を取って大学進学を目指したいと考えている子供たちをサポートする。

様々な事情を持っている子供たちが相手だから、勉強だけ教えているわけにはいかない。生活習慣であったりとか、そもそも勉強のやり方を教えるみたいなところからスタートすることも少なくない。しかし、最も大切なのは、子供たちのモチベーションを高めてあげることだ。

彼らは「勉強したい」「大学に行きたい」という確固たる気持ちを持っている。しかしそれと同程度かそれ以上に「自分なんか無理だ」「勉強なんかしたくない」「早くゲームしたい」という気持ちも持っている。

相反する様々な気持ちを持っている児童たちと辛抱強くネゴシエーションし、「勉強したい」側の気持ちを大きくさせてあげること。それが不登校児の教育支援という仕事のコアであったように思う。

子供たちのモチベーションは、どうやれば上がるのか?

これは、中々一筋縄ではいかない。

まず、怒鳴ったり殴ったりすることはあまり意味がない。委縮させたり怖がらせたりしてモチベーションが上がる例というのは、基本的に絶無と言っていい。もちろん海兵隊の新兵教育よろしく、24時間、横に鬼軍曹が張り付いて訓練を見張り続けるみたいな形でやれば効果も出るんだろうが、現実問題、教師がそんなに長時間張り付き続けることは難しいし、何より長期的に見ると勉強そのものが嫌いになったり、対人不安などを抱えてしまう可能性がある。軍隊が志願兵を教育するような場ならともかく、不登校児の教育支援という場で行うべきメゾッドではないだろう。

ではどのように進めるかというと、ひたすら心理的安全性を確保し、児童との信頼関係を築き、彼らの自発的モチベーションが最大化するよう、あらゆる手練手管を使うーーというのが、僕のやっていた方法だった。

具体的には、子供たちが少しでも勉強したら褒めに褒めまくって、学習態度に問題があれば「心底君のことを心配しているんだ」という顔でゆっくりじっくりとタイミングを見て説得していく。もちろんへそを曲げられることも多いから、あまりしつこく説得してもいけない。時にはへそを曲げられたまま授業時間が終わることもある。次回の授業で生徒の気分がどこなっているかは神のみぞ知る、だ。もしまだへそを曲げ続けているようなら、「心底君のために言っているんだ」風のお説教を、前回とは全く別の切り口で、児童が興味を持つような語り方でしなければならない。

こういうことをやっていると、死ぬほど疲れる。

教師だって人間だから、あんまり続けてへそを曲げられると、内心「このクソガキが…」という感情が沸き起こることもある。あるのだが、それを悟られたら信頼関係が崩れてしまうし、指導の成果も出なくなる。だからひたすら内心のムカつきを殺して、子供のモチベーションを高めるために全身全霊を使う。だから教育指導というのはめちゃくちゃ疲れるのだ。

そうした指導方法が功を奏したのか、自分は割と評判のいい教師だった。子供の成績も伸びたし、親御さんの評価も上々だった。紹介で何件ものご家庭に子供を教えに行くようになった。

そうして子供の受験指導というのをやればやるほどーー

ーー当時の母の姿が、時おり脳裏をチラつくようになったのだ。

――――――――――――――――――――――――

最初の疑問は、「なぜ母はウィスキーを飲んでいたんだろう」という疑問だった。

子供の学習指導には、高い集中力が必要とされる。

いま、その子が何を考えているのか、どんな不安を抱えているのか、なぜへそを曲げてしまったのか、ご家庭の様子はどうだろう、なぜ今回こういう成績になったのか、どこが理解できなかったのか、どこ単元のどこで躓いているのか、考えることは無限にある。

たとえば子供のモチベーションの問題ならば、子供の声にじっくりと耳を傾け、どこに原因があるのか知らなければならない。

もちろん、声だけでは、会話だけではわからない。子供というのは自分自身の状況をそれほど上手く説明できないし、時には大人の顔色を読んでこちらが飲み込みやすい虚構のストーリーを話してくる。そういった虚飾に惑わされず、その子が本当に何を求めているのか、何に苦しんでいるのかを知るのは、やはり、集中力と、時間と、経験が必要だ。

だから、ウィスキーなどを飲んでいたら、とてもじゃないが子供の学習指導はできないのだ。

なぜ、母はウィスキーを飲んでいたんだろう。

自分と「話し合い」をするとき、必ず母はウィスキーの水割りを飲んでいた。

なぜ何時間もウィスキーを飲みながら、何も語れずに縮こまって泣いている自分を見下ろしていたのだろう。

そうすることで得られる教育的効果は、ほとんど何もなかったはずなのに。

もしかすると、

あまり考えたくはないが、もしかすると、

あれは、教育ではなく、

母にとっての、娯楽だったんじゃないだろうか

――――――――――――――――――――――――

「ウィスキーを飲みながら煙草を燻らせ、他人を正座させて、何を言ってもそれを潰して、時おりヒステリックに叫び散らす」

「教育」の名で行われた母の行為は、本当は彼女にとっての娯楽であり、ストレス発散だったのではないか。

その疑念は、教育業に深く携わるほどに強くなっていった。

子供たちに辛抱強く接し、子供たちの心を動かし、困難な状態にある子供たちの成績を上げさせていく。子供たちに懐かれ、親御さんに感謝され…。そうした日々を送っていたのに、自分の心は日に日に荒んでいった。

なぜ、母は僕のような指導を行わなかったんだろう。

なぜ母は、あのような「指導」を行っていたのだろう。

なぜ、自分の心は壊されたのだろう。

不登校児に対する教育指導という自分の仕事自体が、過去救われなかった子供時代の自分に対する代償行為であることにも、とっくに気づいていた。

母は娯楽として自分を傷つけていた。

この考えが浮かぶと、どうしようもなくつらくなった。

母は、自分を愛していたのだ。

母は、愛ゆえにあのような教育を行ったのだ。

ただ、不器用だったから、あのような方法しか採れなかったのだ。

「自分は娯楽として母から傷つけられた」という考えが浮かぶたびに、何度もそう自分に言い聞かせた。しかし、疑念は日に日に強まるばかりだった。

とうとうある日、子供の指導中に急激なフラッシュバックを起こし、講師という立場でありながら授業を早退した。子供の前から逃げるように立ち去った僕は、この疑問に答えを見つけないことには、もう子供たちに接することはできないと思うようになった。

この疑念を確かめる方法はひとつしかない。

母と同じことを、自分もしてみることだ。

ウィスキーを飲みながら煙草を燻らせ、他人を正座させ、相手の言うこと全てを否定し、沈黙すらも非難し、時おりヒステリックに叫び散らす。それをやるしかない。それをやって、どういう気持ちになるのか、確かめてみるしかない。自分は、とある知人に連絡を取った。

ここから先は

2,245字
週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

狂人note

¥1,000 / 月

月額購読マガジンです。コラムや評論が週1-2本更新されます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?