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「分断の時代」の開会式

オリンピックの開会式を見た。オリンピックというのは開会式がコンテンツの99%だから、これで堂々と「東京オリンピックをリアルタイムで視聴した」と公言することができるだろう。

自分はそもそもテレビを見る習慣がほとんどなく、オリンピックの開会式というものを見たのは2008年の北京オリンピックが最後だった。

その北京オリンピックにしても実家のテレビで食事中に30分ほどチラ見しただけで、ちゃんと通しで視聴したわけではない。今回の東京オリンピックは通しで3時間以上観たわけだから、これがオリンピック開会式の初視聴と言えるだろう。

そんな自分だから、見ている最中は割と楽しめた。「北京と比べるとだいぶショボいな」「大工ダンスの意味がわからん」「大阪なおみがトリを務めるの最悪だな」などは思いつつではあったが、煌びやかな各国の入場衣装や祝祭的空気は悪くなかった。おおむね楽しんだ、と思う。

さて、ひととおり楽しんだあとで、「オリンピック開会式」というものへの興味が少し湧いた自分は、過去のオリンピック開催式がどんなものだったのか見てみようと思い立ちYouTubeで検索した。ありがたいことにYouTubeにはIOCによって運営されたチャンネルが存在し、近代オリンピックの開会式映像の多くを見ることができる。

それら開会式映像をざっと見た自分は、大きな衝撃を受けた。

東京オリンピックとは文字通り「レベルが違う」開会式映像がそこにはあったからだ。

みなさんも、時間があればぜひ見てほしい。選手入場までのオープニング部分であれば30分程度で見ることが出来る。おそらく驚くはずだ。2021年東京オリンピックとは桁違いの開会式がそこにある。

まずは2004年のアテネオリンピック。ギリシャ神話の世界から現代ギリシャまでの数千年間を表現したオープニングで、遠い古代を彷彿とさせるような荘厳な演出が多く見られる。オリンピック発祥国として「我らの偉業を思い出せ」とでも言われているようだ

次に2008年の北京オリンピック。一糸乱れぬ大人数による太鼓の演奏や、大規模なマスゲーム、中国史に残る偉大な発明の数々(特に「紙」がフォーカスされている)、それらを矢継ぎ早に繰り出すことで「偉大な中国」の印象を否が応にも感じさせる。

2012年のロンドンオリンピックも面白い。国威高揚のニュアンスが強かった北京とは違って、世界中で愛されるイギリス文化の数々をアピールしている。007ことジェームス・ボンド、児童文学の金字塔ハリー・ポッター、ピストルズを始めとするUKロックの数々。「21世紀だってのに、まだ帝国主義をやってるのかい?」とでも言いたげなイギリス人のしたり顔が浮かんできそうだ。

直前のオリンピックである2016年のリオ・オリンピック。これは個人的に一番のお気に入りだ。ブラジルで行われたリオ・オリンピックは、南米初のオリンピック大会でもあった。開会式のオープニングは密林が切り開かれ、畑となり、街となり、さらに近代的ビルディングが立ち並び、先進国としてのブラジルが現れるーーという内容となっている。南米発のオリンピックにかけるブラジル国民の意気込みがこちらまで伝わってきそうだ。

さて、ひるがえって、東京オリンピックの開会式は一体なにを表していたのだろうか。冒頭のプロジェクトマッピングにせよ、大工や火消しのパフォーマンスにせよ、歌舞伎役者のポージングにせよ、全くもって統一性がなくバラバラだった。

その割に予算は至上最高額で、アテネの55億円、北京の110億円、ロンドンの98億円、リオの10億円を大きく引き離す165億円だ。

もちろん、国民的合意を得られていなかったことで有為の人材が集まりにくかったという背景はある。無観客を選択したことの影響も大きい。直前まで猛威を奮ったキャンセルカルチャーもあった。

しかし自分は「クオリティが低い」と言いたいのではなく、「メッセージが無い」と言っているのだ。なんの一貫性もない出し物を漫然と出していることを問題視しているのであって、出し物ひとつひとつのクオリティについて言及しているわけではない。

なぜ、こんなことになってしまったのか。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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