「男なら奢って当然」は今や時代遅れのおばさんワード
「奢り奢られ論争」と呼ばれる古くから続く論争がある。
要は「デート代は男性が払うべき」という性規範への是非をめぐる論争なのだが、筆者が把握している限り1990年代には既にこの手の論争は存在していたはずである。なんとも息の長い論争で、これを目にしたことが一度もない、という読者はほぼ存在しないだろう。
息の長い論争なだけあって、主張そのものはあらかた出尽くした感もあるわけだが、とはいえ、論争そのものの重要性はいささかほども失われていない。稼得役割という男性的性規範の最たるものをどのように扱うべきか、という価値判断を問う論争であるからだ。
唯名論と実在論の対立のように古来より繰り返し論争の俎上にあげられるテーマというのはあるものだが、論題にそれだけの重要性があるからこそ繰り返し論じられるのである。
特に「奢り奢られ論争」に関しては、論者の世代交代を伴って新しいフェーズに入ったと筆者は感じている。これを「昔ながらの代わり映えのない論争」と見ている諸氏は完全に時代から取り残されていると言っても過言ではないだろう。というのはいま奢り奢られ論争において、ドラスティックな価値観の変化が生じているからである。
筆者がこれを痛感したのは、
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