「タコピーの原罪」の虐待描写のリアリティについて
めちゃくちゃ流行ってるので早速読みました「タコピーの原罪」。
未読の方向けにストーリーを簡単に説明すると、いじめや虐待などの被害にあっている少女の元に、「ドラえもん」的なひみつ道具を持つ謎の宇宙人「タコピー」がやってきて、少女の境遇を変えようと奮闘する──というもの。
そう表現すると一見ハートフルストーリーのように思えるのですが、(最新第5話の段階では)作中の状況は悪化の一途を辿っています。
タコピーはどうやら「悪意」というものが存在しない世界からやって来た存在であるようで、「いじめ」も「虐待」も「暴力」も上手く理解することができません。100%の善意で行動してるのにも関わらず、タコピーは常に空回りし続けます。
登場するキャラクターたちも魅力的で、それぞれが(一概に邪悪とは言い切れない)切実な感情の元に動いていながら、事態はどんどん最悪の方向に転がっていく。一種のスプラッター・コメディのような趣のある作品です。
テンポも良く、画力も秀でており、キャラクターもコンセプトも独自性がある。人気作になるのも不思議ではない作品だと思います。ジェットコースターのような疾走感のある作品が好みなら読んでみるのも一興でしょう。
ただしこの作品、ひとつだけ欠点があります。それは作中で描写される「虐待」や「いじめ」や「貧困」の描写に全くリアリティがないことです。
なんというか、「そこそこ」はリアルなんですよ。ネットニュース等で報じられる虐待事件のキーワードはしっかり勉強しているというか。
しかし全体的な整合性が致命的に欠けており、ある程度実情に詳しい人が読めば首を傾げたくなるシーンが3ページに1回くらいの頻度で出てきます。これを「虐待描写に『不気味の谷』を感じる」と評していた方がいましたが、秀逸な表現だと思います。なまじっかリアリティを重視した結果、かえって違和感が膨らんでしまっている。
というわけで本稿では「『タコピーの原罪』の虐待描写のリアリティ」というニッチもニッチなお話について勝手に語っていこうと思います。
ネタバレ全開なので未読の方はご注意ください。
しずかの境遇
謎の宇宙人タコピーと遭遇し、運命が大きく変わってしまった不遇なる小学4年生こと久世しずか。本作の主人公であり、最も悲惨な境遇にある少女です。
彼女の境遇を列挙すると、なかなかにハードです。
・両親は離婚し母子家庭
・母親は水商売に従事
・家は生活保護を受給
・母親は給食費を未納
・学校で悲惨ないじめ
・大型犬を飼っているが、いじめっ子に殺される
…などなど。しずかちゃんは第一話のラストで首つり自殺を図るわけですが、まぁそうなっても仕方ないよねと思わせるようなラインナップです。
ただ、残念ながら「ありがち」な要素を詰め込んだ結果として、全体の整合性が全く取れなくなっちゃってるんですよね。しずかの母親は(いじめの首謀者であるまりなの父親という)太客を持つレベルの水商売女性で、タクシーに乗って移動する描写もありますから、決して所得水準が低いとは思われません。生活保護の受給は不可能でしょう。作中にはしずか(とその母)を執拗に敵視する少女もおり、不正受給などしようものなら即座に通報されそうです。
さらに公立小学校の給食費は4000円程度ですが、大型犬は食費だけで月6000円以上はかかると言われています。子供の給食費すら未納なのに大型犬を飼育しているのはかなり不自然な描写と言わざるを得ません。(平屋とは言え)生活保護世帯が庭付き一軒家に居住してるのも違和感しかない。
いじめ描写もかなり不自然で、しずかは全身痣だらけ・泥だらけ、机もランドセルも傷や落書きでボロボロ…という悲惨なビジュアルなのですが、今どきこんな「わかりやすい」いじめ描写ってあり得ないんですよね。
いじめの怖さ・悲惨さというのは大人の目から隔絶された子供社会の中で陰湿に攻撃され続けることにあるわけで、小4ともなればこんな「わかりやすい」形でいじめを行う子供は存在しません。
なんというか、しずかの苦境のほとんどは「わかりやすい」貧困や虐待やいじめの記号のパッチワークで作られているんですよね。その結果それぞれの要素が他の要素と相互矛盾を起こし、ほとんどあり得ない境遇が生まれてしまっています。
まりなと東の境遇
これは他のキャラクターも同様で、いじめ首謀者の少女まりなは機能不全家庭で育っているという設定です。両親は夫婦喧嘩を繰り返し、父親は母親に暴力を振るい、家の中は荒れ果てている。まりなは母親を精神的にケアするヤングケアラーとしての側面も持っています。
まりながしずかに憎悪を燃やすのは、両親の不和の原因となっている父親のキャバクラ通いがしずかの母親によって引き起こされているからです。といっても単なる太客というだけのことなんですが、「しずか(の母親)という『淫売』のせいで自分の家庭は崩壊した」とまりなは考えているわけですね。
ただ強い違和感を抱くのが、まりなが父親のことを大切に想っていることなんですよ。「まりなのパパが頑張って稼いだお金」「お前さえいなければ、パパはまたママに指輪を買ってあげるはずなのに」「パパを返せ」という台詞にあるように、まりなは両親の不和に心を痛め、パパを大切に感じ、それを奪われたことに怒りを燃やしています。
ただこれって物凄く不自然な描写なんですよ。家庭内不和が生じている家庭で依存的な母親の精神的ケアを押し付けられた子供って、たいていはもう片方の親のことを憎悪するようになります。
父親に暴力を振るわれ、軽視され、傷ついた母親の精神的ケアを一手に引き受けるのはもちろんキツい仕事で、憎悪や怒りが生まれるのは自然なことなんですが、「パパを奪った水商売女(の娘)」に怒りの矛先が向かう理由が正直なところ全くわかりません。むしろ矛先は「パパ」に向かうでしょう。汚らわしい「淫売」に走り家庭を崩壊させた父親なんですから。それが「大好きなパパ」であり続けているというのは前思春期の少女の心情としては極めて不自然です。
ついでに言うと、決して豊かとは思われない機能不全家庭出身のまりながスクールカーストの頂点に立ってることも違和感を抱きますね。まりなの個人的憎悪にクラスメートが付和雷同し、教師までそれに同調する理由が全くないんですよ。なんというか、あまりに記号的です。
しずかの唯一の味方と言っていい東くんの設定も首を傾げたくなるところが多いです。彼は優秀な兄弟と比較され、教育虐待とも言えるような扱いを受けていることが示唆されてるんですが、そんな家の子供が小4の放課後にそこら辺をうろついてるわけがないんですよね。塾なり補習塾なり習い事に行ってなきゃいけない時間ですから。
もちろん例えばSAPIXだと小4の通塾は週2回ですし、補習塾を含めても週5全て埋まってるわけではないですけど、作中で描写されているような苛烈な教育虐待の被害者が小4の放課後にそこら辺をうろついてるというのは教育虐待の実態を知っていればいるほど「???」という感情を抱きます。ああいう家庭はたいてい受験が本格化するまでの期間も習い事をギュウギュウに詰め込んでますから。
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はっきり言ってしまえば、「タコピーの原罪」で描写される虐待やいじめや貧困の描写は薄っぺらい偏見の切り貼りなんですよ。「給食費未納」「生活保護」「不倫」「ヤングケアラー」「教育虐待」という今流行りの社会問題ワードを散りばめて、なんとなく「それっぽい」光景を作ることには成功している。しかしそれはあくまで記号的に作られた「それっぽい」描写以上の何物でもなく、細部やキャラクターの心理に焦点を当てると途端に全体像は崩壊してしまう。
それは「虐待親の形質を子供はそのまま受け継ぐ」という素朴な偏見にも反映されています。水商売女の娘であるしずかは色を使って男を操り、父親が暴力を振るうまりなはクラスメートに暴力を振るい、教育虐待を受けた東は詰問するようにタコピーと接します。「虐待の連鎖」神話がまんま再現されているわけです。
その神話の妥当性については長くなるので触れませんが、「タコピーの原罪」内で描かれている虐待などの要素が「薄っぺらい偏見の切り貼り」でしかないという印象はますます強くなります。
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これまでの展開と「タコピーの原罪」というタイトルから推察するに、本作は一種の楽園追放を描こうとしているのだろうと思います。原罪なきエデンの園からやって来たタコピーが、神の言いつけ(母星の掟)を破ったことで原罪を背負うことになる。作中でたびたび登場するドクダミの花言葉は「自己犠牲」です。そして原罪とはイエス・キリストの自己犠牲によって贖われたものでもあります。
しかし楽園追放を描きたいなら、苦界としての人間世界の解像度がこうも低いのはどうなんだよと思ってしまうんですよね。
当たり前ですが、リアリティというのは作劇上必ずしも必須というわけではありません。描きたいものが他にあるなら大胆に嘘をついてしまっても全く問題ない。細部をデフォルメした上で作品を作ることはむしろ当たり前のことでもあります。
しかし「タコピーの原罪」は明らかに、無垢な存在として生きられない人の業とでもいうべきものにフォーカスを当ててる作品です。だからこそ貧困やいじめや虐待を「リアル」に描こうと作者は努力しているわけですが、しかしその光景が自分の目には余りにツギハギだらけのように見える。虐待やいじめを取り扱ったネットニュースからキャッチーなキーワードだけ抜き出して、適当に並べただけのように思えてしまう。
もちろん創作活動は本質的に自由なものですし、(「ルックバック」であったように)妙な自主規制や修正が行われることを自分は毛頭望みません。
しかし「タコピー」の描写が「凄まじいリアリティ」とか言われてる今の状況はなんとなく嫌だなぁとという思いから、本稿のようなあまり好意的ではない批評文を書かせて頂きました。
楽しんで読まれている読者の方にとってはもちろんご不快でしょうが、本稿はあの描写にモヤモヤとしたものを感じたごく一部のみなさんに向けて書かれた批評です。どうかご寛恕いただければ幸いに思います。
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以下は購読者に向けた余談として、筆者が「この虐待描写はすごいな」と圧倒的リアリティを感じたいくつかの作品のお話をさせて頂こうと思います。
その作品とは
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