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ポリティカル・コレクトネスが障害者から医療を遠ざける

これは書くと100%怒られる話なのだが、そのような「みんな知ってるけど口に出来ない話」を公言するのが狂人の社会的役割であろうと考えるので、あえて書く。

タイトルの通り「ポリティカル・コレクトネスと障害者」のお話だ。

ポリコレによって社会はどう変わったのか。社会が変わるというのは、当然、得をした者と、損をした者が現れるだけだが、ポリティカル・コレクトネスの躍進によって、どのような人が割を食っているのか。

この問いは、英語圏においてはかなり議論が蓄積されてきたテーマだった。そして近年その一例として、「フェミニズムと自閉症」というキーワードが、一定の注目を得始めている。

英語版のGoogleで「feminism autism」あたりのキーワードで検索すればゴロゴロと記事や論文が出てくるわけだが、本稿ではその中でも最も読まれているテキストのひとつを紹介しよう。著者はペネロペ・トランク。アメリカ合衆国の女性起業家であり、ASD当事者であり、キャリアやコーチングについての複数の著作を持つ作家でもある。なお翻訳は英検2級の筆者によるものなので、気になる各位は原文を当たられたし。

自閉症とフェミニズム

自閉症とフェミニズム

フェミニズムは、女性が女性的なキャリアを歩むことより、男性的なキャリアを歩むことを推奨する。しかし、このアプローチには問題がある。なぜなら、過去10年ほどの研究によって、男性のように考える女性は、定型発達(neurotypical women)ではないということが判明したからだ。男性的な考えを持つ女性たちは、アスペルガー症候群(以下ASD)を持っている。

普通の女の子たちは数学が得意ではない。1980年以来、数学においてずば抜けたスキルを持っている男の子たちは、通常、ASDであると言われてきた。それは女の子にとっても同様だ。女の子にとっても、すば抜けた数学のスキルはASDの予測因子となる。

しかし「あなたは数学が得意だから、ASDのテストをした方が良い」などと女の子に言うことは難しい。男の子が好むアクティビティを好む女の子についても同様だ。そのような女の子たちは本来ASDのテストを受けた方が良いのだが、そうはなっていない。そのような子の大半は、ASDであるはずなのだが。

女性の性別違和もまた、ASDと関係がある。トランスジェンダー、Xジェンダー、クィアの人たちもまた、ASDと強い関係がある。これは特に女性において顕著だ。女性として生まれた人たちは、ジェンダークリニックに紹介される可能性が男性として生まれたひとたちの2倍ある。

これらの関係性に注目することは特に重要だ。なぜなら、一般にASDのひとたちは、セクシャリティについて整理するスキルの発達が遅い─もしくはあまり発達しない─と考えられているからだ。

しかし、このようなことを公言するのは憚られる。「もし自分がトランスジェンダーだと思ったら、ASDのテストを受けてください」。このような言明は、ポリティカル・コレクトネスに反する。「性別違和を感じている女性は、単にASDによって男性的な脳を持っているだけで、それはジェンダーアイデンティティの問題ではない」。そのように考えるのも、人々は嫌がる。

フェミニストの理想は、女性にとって制限が多すぎる。ASD女性の90%が未診断のまま放置されている理由は、人々がこのような研究結果を直視できないからだ。メディアはこのような調査について報道しないし、医療関係者もこのような研究に基づいて行動しようとしない。おそらく、ASD女性についての様々な研究が、フェミニズムの教義と真っ向から対立するように感じられるのが不味いのだろう。しかし実際は、フェミニズムに対する執着が、女性に対する深刻な医療危機に繋がっている。ポリティカル・コレクトネスがもたらした結果は、ASD女性が中年期まで未診断のまま放置されるということだ。そして中年期まで放置されたASD女性たちは、66%が自殺念慮を持っている。

フェミニズムからの脱却は、全ての女性の生活を向上させる。我々は科学的知見を受け入れ、それに基づき行動できるはずだ。女性が、男性と同じくらい、早期にASDであると診断されたなら…。中年期にASDと診断された女性のほぼ全てが、もっと早期に診断されていれば、人生の困難はよほど軽減しただろうと発言している。

フェミニズムから脱却できれば、女性たちは、男性的な基準で自分たちを評価しなければならないというプレッシャーから解放される。そして、男性的な競争を女性が好まないと認めることは、決して悪いことではないのだ。

フェミニズムから脱却することで、女性はよりオープンに本音を語ることができるようになるだろう。多くの女性は、男性的な「一家の大黒柱」になどなりたくなかったのだ。本当のところ。

医療関係者は、より多くのリーダーシップを取る必要がある。今日、もし強迫観念的で、極めて賢く、男性的な頭脳を持った男の子がいれば、その子はASDの検査を受けられる。しかしもし、同じようなタイプの女の子がいても、その子はASDの検査を受けられない。はっきり言って、これはとんでもない話だ。ASD女性は、私たちがポリティカル・コレクトネスを実践しようとする間に、死に瀕しているのだ。

医療業界は、性別の違いについて本音を語らない歴史がある。女性の心臓発作は男性の心臓発作とは全く違うが、医師たちがこの違いに対処できるようになるまで何十年もの時間が必要だった。ASD女性とASD男性の違いについても同様だ。我々はこのふたつが違うものだと知っている。今すぐ対処が必要なのだ。

死に瀕している多くの女性がいる。孤独と、自殺の危機に瀕している、多くのASD女性たちがいる。彼女たちが危機に陥っているのは「男性のように成功する女性」を推奨する社会の風潮のせいなのだ。多くの女性が死にかけている。これら「不快な話題」のために死にかけているのだ。

今こそ、本音で話し合うべき時だ。

出典:(WHY THE FINAL BLOW TO FEMINISM WILL BE AUTISM

ペネロペ・トランクの記事において一貫して主張されているのは、フェミニズムが牽引してきたポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)が、どれほど女性の本音を封じ、ASD女性の命を危険に晒しているのか、ということだ。

フェミニズムに対する執着が、女性に対する深刻な医療危機に繋がっている。ポリティカル・コレクトネスがもたらした結果は、ASD女性が中年期まで未診断のまま放置されるということだ。そして中年期まで放置されたASD女性たちは、66%が自殺念慮を持っている。

実際、ポリティカル・コレクトネスが牽引する「多様性」という概念は「障害」という概念と極めて相性が悪い。

発達障害・精神障害を持つ当事者なら99%が同意してくれるだろうが、障害は障害であり、個性などではない。障害者に必要なのは療養と支援であり、「それもまたひとつの個性」というような類いの戯言ではない。

しかしポリティカル・コレクトネスは「多様性」という美しい言葉で、真綿で首を締めるように、障害者を療養と支援から遠ざける。

「男の子みたいな遊びが好きなの?素晴らしいね!」

「数学がたまらなく好きなの?素晴らしいね!」

「ひとつのことに集中したら何時間もそのまま熱中してしまうの?素晴らしいね!」

個性だよ。それは個性だ。個性。個性だよ。君は個性的だ。ユニークだ。素晴らしいね!

そうして障害者は療養と支援から遠ざけられ、死ぬ。


GID(性同一性障害)は個性か障害か

ペネロペ・トランクが主張するように、特にASD女性とトランスジェンダーにおいて、極めて深刻な事態が発生している。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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