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論点整理:「生理は過大評価」論はなぜ正しいのか

数日前から爆発炎上を続けている「生理は過大評価」論について、今一度論点を整理するために筆を執ることとする。

本稿では、「生理は過大評価」論の要旨を今一度まとめ、さらに寄せられた主要な反対意見についても検討する。


「生理は過大評価」論とは

そもそもの前提として、「月経によって女性一般は大きなパフォーマンス低下の影響を受けている」とする根強い意見がある。極端なものでは「女性が元気なのは1ヶ月で1週間しかない」とする主張まである。ちなみにこのツイートは7万RT・18万いいねを得て、主に女性層から圧倒的な支持を受けていたことに留意して頂きたい。

「女性は月経によってパフォーマンスに大きなマイナスの影響が出ている」という意見が単なるインターネットの与太話と言い切れないのは、都知事選の立候補者が「低用量ピルによる働き方改革」を公約として掲げ、大きな反響を得たことからも推察できる。

月経によって引き起こされる様々な症状が、女性の就業や就学にマイナスの影響を与えている。それは今や公然と語られている「定説」のひとつなのだ。

爆破炎上を続けている拙稿は、この「定説」について批判的な検討を試みたものだ。

女性の月経によるパフォーマンス低下は、実際にどの程度のものなのだろう。

拙稿では「生理が始まる年齢の前後でどれくらい男女のパフォーマンスに差が開いたかを比較する」というアプローチを選択した。

Aという集団とBという集団があって、Aという集団だけにパフォーマンスに影響を与えるとされるイベントが継続的に生じた。とすれば、イベント発生時期の前後でA集団・B集団のパフォーマンスを比較すれば、イベントによる影響を推し量ることができるだろう。

たとえば原発事故による健康被害について調べたいなら、原発事故が生じた地域の健康状態と、原発事故が生じなかった地域の健康状態を、事故の前後期間を含めて継続的に調べていけば影響を推察することができる。拙稿で選択した調査方法は、有り体に言えばそのようなものである。

月経によるパフォーマンスの影響を検討した部分について、拙稿から引用しよう。

10歳から15歳にかけて女性は初経が開始する。つまり、もし月経によるパフォーマンス低下が世間で認められている程度にあるのであれば、10歳から15歳にかけて男女のパフォーマンス差は次第に拡大していくはずだ。

この検証を行うにあたって、うってつけのデータがあった。国立教育政策研究所が実施している「教育課程実施状況調査」である。

この調査は小学5年生から中学3年生までの5年間にかけて、主要教科のペーパーテストの成績を男女別に測定している。ご存じの通り、小学5年生は10-11歳、中学3年生は14-15歳であり、女性の初潮年齢の分布と本調査の対象年齢は完全に一致している。

果たして結果をグラフにするとどのような形になるのだろう。平成15年度の 小・中学校教育課程実施状況調査から筆者が作成したグラフが以下である。

算数・数学における得点率

国語における得点率

ご覧のように、小5から中3にかけて、両者の得点率はほぼ水平に推移している。つまり、月経によるパフォーマンス低下は生じていないのだ。

もし月経が女性のパフォーマンスを大幅に低下させるのであれば、このような結果にならないことは自明だろう。

ほとんどの女子が初潮に至っていない小学5年生の段階と、ほとんどの女子が初潮を済ませている中学3年生の段階では、生理が女子の生活に影響する度合いは大きく違う。

すなわち、もし生理によるパフォーマンス低下が起こっているなら、学年が上がるごとにしだいに男女の成績差が開いていくはずである。

しかし、そうはなっていないのだ。

(引用:「女性には生理というハンデがある」は完全に嘘

このようにして自分は

月経によるパフォーマンス低下は実態よりも誇張されている

と結論づけた。その結果があの大炎上である。


主要な批判の分類と、それらに対する検討

次に、本論に対して寄せられた批判をいくつかの典型に分類し、それぞれに対して検討を加える。


・「私がエビデンス」系

「あなたの主張は間違っている。なぜなら私は毎月生理痛に苦しんでいるからである」とするタイプの批判だ。残念ながら、最も多い反応のひとつだった。

言うまでもないが、拙稿は女性全体の一般的な傾向について論じている。一般的な傾向について論じているとき、個々の事例は反証にならない。

原発事故によって生じた健康被害を論じるときに「でも福島には癌になった人もいるんです!」と批判することはほとんど意味がない。重要な意味があるのは福島全体の健康被害に有意な差が認められる場合だけだ。

「個人差が大きい」などの意見も個別事例を反証としようとする誤謬のひとつだろう。繰り返すが、本論で扱っているのは女性全体の一般的な傾向である。

念のために言っておくが、月経が女性全体のパフォーマンスに与える影響が極めて軽微であることと、月経によって大きなパフォーマンスの影響を受ける個人が一定程度存在することは両立する。

その割合が全体の傾向に影響を与えない程度に小さいなら、それは成り立つのだ。筆者は月経によってパフォーマンスに影響を受ける個人の存在を否定したことは一度もない


・未知論証

「月経の影響を相殺している隠れた要素があるかもしれない」とする意見だ。

典型的なのが「女性は月経の影響を相殺するために男性よりも努力しているから結果に差が出ないのだ」といったような見解だろう。その他にも「PMSの症状が思春期以降で差が出る可能性もある」「男性も二次性徴によって同様のパフォーマンス低下が起こっている」などなど。

これらは未知論証と言われる「ないことの証明」を求める典型的な詭弁だ。

例えるならば「カラスは一般的に言って黒い」という主張に「でも月の裏側には10億匹の白いカラスがいるかもしれない」と返すようなものである。この論法の問題は、「月の裏に白いカラスはいない」ことを突き詰めても、今度は「いや、やっぱり、白いカラスは火星の裏側にいるのだ」と無限後退を引き起こせる点だ。

論証責任は「白いカラス」の存在を主張する側にある。「ないことの証明」を求める批判は、反証足り得ない。


・「検証アプローチに問題がある」系

検証アプローチ自体に問題があるとする意見も多かった。最も多かったのは「同一人物の月経時/非月経時のパフォーマンスを比較しなければ意味がない」とする意見だ。

異なる検証アプローチの必要性を叫ぶひとは多いのに、なぜ異なる検証アプローチが必要なのか説明してくれる方は皆無だった。また自分の取ったアプローチがどのように問題なのかを指摘する人も皆無だった。

ちなみに拙稿において集団を観測するアプローチを採用したのは、それが月経の長期的な影響を考える上で有効だと判断したからだ。

月経時/非月経時のパフォーマンスを比較する方法では、月経期間が最大でも1週間程度しか持続しない以上、どうしても短期的なパフォーマンスしか計測できない。

しかし本論において問題とされたのは、月経というイベントに長期的に晒され続ける女性たちが、一般的にどのような影響を受けるのかというテーマについてだ。

その点、学力成績は長期的な影響を考える上で効果的な指標と言える。学力テストにおいて測られるのはテスト時間内のパフォーマンスだけではなく、年単位に渡る日々の学習をしっかりこなせているか、そのための知力と体力と精神力を備えているかどうかだからだ。

ゆえに、拙稿における検証アプローチに問題はなかったと自分は現在でも考えている。他のアプローチが必要だと主張するなら、せめてその理由を説明して頂きたいものだ。


・要件定義が甘い

これは妥当な指摘だ。例えば記事内の「パフォーマンス」が十分に定義されていないという指摘は頷ける。

先日の記事はあくまで自分のマガジンを購読してくれているささやかな読者に向けて書かれたものだ。前提を共有する読者に向けて執筆したため、言葉の使い方が厳密に定義されていなかった点は認めざるを得ない。

あくまで自分が検証したかったのは「女性が元気なのは1ヶ月で1週間しかない」というような、月経の影響を過度に喧伝する言説はどの程度正しいのか?という問題についてだった。

ゆえに記事内での「パフォーマンス」という言葉は、オフィス労働者の生産性や、学校生活における学習効率のようなものを想定している。


「やさしさ」が格差を拡大させる

以上が主要な反対意見についての検討となる。やはり言うべきか、記事内で主張された「月経によるパフォーマンス低下は実態よりも誇張されている」という意見を覆すようなものは皆無だった。

ちなみにこの記事を書くため、筆者は1300件以上の引用RTや、数百ものリプライ、数十件のメールやダイレクトメッセージ、それら全てに目を通している。これは特殊な訓練を受けていない方にとっては極めて危険な営為なので真似しないように。

個人的な感想を言わせてもらうなら、主張内容が正しくても批判が殺到するというこの構造自体に、現代日本の女性優遇っぷりを改めて感じた。

特に「私がエビデンス」が当たり前のようにまかり通ってしまう状況は、極めて危険な結果に結びつく。反ワクチン運動がもたらしている重篤な健康被害は、まさにこのような風潮が生み出したものだろう。

「月経によるパフォーマンス低下」という問題も同様だ。それが政策議論にまで結びついている以上、客観的な視点からの考察が必要であることは論を待たないが、それを許さないヒステリックな文化的土壌が根付いてしまっている。

最後に、なぜ月経の問題について切り込むか、簡単に語っておこう。

端的に言えば、この月経の過大評価こそ、「ケアの不平等性」をめぐる問題の核心だからだ。

自分が常々主張しているのは、

「やさしさ」が格差を拡大させる

という構造についてだ。ある属性の人々には優先的にケア資源が配分され、ある属性の人々はいくら苦境にあってもケアが配分されない。現代社会の最大の歪みのひとつは、まさにこの「配慮の格差」だ。

苦しみを語っても決して共感的に受容されない人々がいる一方で、月経のような「かわいそう」な問題には過剰なケアが配分される。

その不公平性について真剣に問題提起したいからこそ、「月経のパフォーマンス低下は実際にどの程度なのか」という問題に切り込んでいる。配分されているケアと、困難の実態の間に大きな乖離があるのなら、それは誰かのリソースを奪っているということに他ならない。

女性憎悪だのインセルだの闇堕ちだのとさんざん好き勝手を言われているが、自分の問題意識は以前から何も変わっていない。弱い立場にある人たちをどのようにエンパワーメントできるか。それだけだ。

「かわいそう」な人たちに対する「やさしさ」が、この地獄のような社会を形作っている。やさしさの対象となり得るような魅力ある個体のみがケア資源を獲得し、魅力のない個体は捨て置かれる。

弱い立場にある人たちを本当に重視するなら、「かわいそう」という気持ちこそ批判的に吟味されなければならないだろう。

善意によって動く「やさしい」人々。

彼らがこの格差社会を築いたのだ。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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