見出し画像

日本人が知らない「トランスジェンダー」の歴史

最近「トランスジェンダー」という概念が、一般層にも広がりつつある。

特に「トランス女性」の公共施設利用を巡る議論は政治的イシューとして大きな注目を集め始めており、トランス女性の女子大入学の是非や、「トランス女性」の定義を巡る論争など、各方面で議論が噴出している。

しかし、そもそも「トランスジェンダー」とは一体何なのだろうか。いつこうした概念が生まれ、なぜ権利として尊重されるようになり、どのような経緯を経て今の社会的議論を生むに至ったのだろうか。正直なところ筆者の見る限り、日本において「トランスジェンダー」概念の成立経緯や問題構造を正確に理解している人は極めて少数である。

そこで本稿は知識ゼロの方に向けた「トランスジェンダー入門」として、トランスジェンダーという概念がいかに欧米で形成されていったのかの小史と、特に欧米で盛んに論じられているトランスジェンダーをめぐる論争の基本的な構造について解説していく。トランス問題にご興味のある方はご一読頂ければ幸いである。


トランスジェンダーとは一体何なのか

そもそも、「トランスジェンダー」とはどのような人々なのだろうか。いま日本で最も広まっているトランス理解は

「心の性別と身体の性別が異なるひとたち」

といったものだろう。身体は男性なのに、心は自分を女性であると考えている。もしくは逆に、身体は女性なのに心は自分を男性であると認識している…。どうもこの「心の性別」というワードはわかりやすいらしく、過去多くのメディアでこうした説明が用いられてきた。しかし、実の所これはトランスジェンダーの定義として全くもって不正確である。

というのも、「トランスジェンダー」という存在が誕生するに至る道筋は、まず「心の性別」という概念を否定するところから始まっているからだ。なんとも回りくどくて申し訳ないが、トランスジェンダー概念を理解するためにはまず第二派フェミニズムの流れを理解しなければならない。


「心の性別」を否定した性革命

時は1949年。市民革命と産業革命、そしてふたつの世界大戦によって、女性の権利は飛躍的に向上した。女性も男性同様に参政権を持ち、女性も男性同等に教育を受けられるようになり、就労や資格取得をはじめとした社会参加についてもほとんど男性と変わらぬ権利を手に入れた。市民権の平等という領域において「男女平等」はほぼ達成されたのだ。

しかし、現実には女性が男性のようになることはなかった。女性が大企業でキャリアを築くことも、女性が政治家を志すことも、女性が戦闘機パイロットとして活躍することもほとんど起こらなかった。

一体なぜなのか。そこにひとつの説明仮説を提示したのがシモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性」(1949)である。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

この有名な一節で知られるボーヴォワールの著作は、「性別」とは生まれながらの身体的な属性ではなく、社会的・文化的に構築された規範のようなものであると主張した。つまり女性は「女だから」主体性を持てないのではなく、社会的に構築された「女らしさ」に縛られているから主体性を持てないと考えたのだ。このボーヴォワールの思想は熱狂を以て受け止められ、「ジェンダー」(社会的な性別)という概念がここから一気に広まっていく。

ジェンダーとは「心の性別」と言い換えても良いだろう。ボーヴォワールの思想的な新奇性は、性別というものを「身体の性別」セックス「心の性別」ジェンダーとに二分したことだ。それまでこれらは一体のものであると考えられていたが、ボーヴォワール以降、その前提は急激に揺らぎ始めていく。

「男らしさ」「女らしさ」といった「心の性別」ジェンダーが女性差別を生み出している以上、フェミニストとしては「心の性別」を大胆に破壊していくことを志向せざるを得ない。この任に就いたのがボーヴォワールに続いたベティ・フリーダンやケイト・ミレットなどのフェミニズム思想家たちである。フリーダンは「新しい女性の創造」(1963)で「女らしさ」を唾棄すべきものとして攻撃し、ミレットは「性の政治学」(1970)で「男らしさ」を男女差別を再生産する悪しき文化(家父長制)として糾弾した。

こうして「性の革命」と呼ばれる運動がはじまった。1960年代から1980年代にかけて、社会が押し付ける「心の性別」に反抗するべきだというムーブメントが欧米を中心に爆発したのだ。折しも学術界は社会構築主義一辺倒の時代であり、生物的本能のような固定的な性質はハナから無視され、人の心は「白紙の石板」なのだから誰もが自分の心を自分で決定できると信じられた。

女性の就労、同性愛、フリーセックス、ミニスカート、男性の長髪、女性の飲酒、徴兵拒否、女装や男装、妊娠中絶…。

こうした「男らしくない」「女らしくない」とされた文化が一気に花開いたのもまたこの時期である。日本では大いに誤解されているが、ジェンダー平等とは「男女平等」を意味する言葉ではない。そうではなく、

ここから先は

3,443字
週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

狂人note

¥1,000 / 月

月額購読マガジンです。コラムや評論が週1-2本更新されます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?