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こうして弱者男性は「社会の敵」になった

「弱者男性」という言葉が、どうしたわけが、次第に一般層にも浸透し始めているらしい。

Google trendを見るとその普及のほどがわかる。

ほんの2年ほど前は一部界隈でしか使われていなかった言葉なのだが、2021年の初夏ごろからメディアでも用いられるようになり、2023年8月現在においては一種の「流行語」とし様々な場面で目にするようになってきている。

この言葉の由来を軽く説明すると、元々は社会教育家の一柳良悟氏が提唱した「キモくて金のないオッサン」という語がまずあり、これが「KKO」に略されて2015年ごろからTwitterの一部クラスタで流行した。これは「社会的弱者でありながら福祉やケアの網に包摂されない男性困窮者」を意味する言葉であり、いわゆる「かわいそうランキング」の元ネタとなった概念と言える。ここから紆余曲折あって、「弱者でありながら弱者として扱われない男性」を指す言葉として「弱者男性」という語が確立していった。

そうした「弱者男性」という言葉がこうして普及したことは、一見すると喜ばしい事態であるようにも見える。不可視化されてきた弱者にようやく人々の注目が集まりはじめた。そうポジティブに解釈してしまうかもしれない。

しかし実際のところ、「弱者でありながら弱者として扱われない困窮者」という意味での「弱者男性」という語は全く市民権を得ていない。いま流行語となっている「弱者男性」は、あくまで「非モテ男性」「恋愛弱者」「キモい男」という意味合いのワードであり、大っぴらに嘲笑し、攻撃し、差別するための言葉として一般層に普及し始めている。

だからこそ「弱者男性の姫」なる蔑称が女性キャスターに名付けられ、公に攻撃しても誰からも文句が付かないサンドバッグとして面白おかしくメディアに消費されているわけだ。不可視化された被差別集団のための言葉が被差別集団を攻撃するための言葉になっているという構造は、あまりにグロテスクとしか言いようがない。

なぜこうした事態に発展してしまったのだろう。困窮者を語るための言葉が困窮者を差別するための言葉になってしまうというのは男性問題に特有の現象だ。これは言いかえれば、なぜ男性に対するヘイトスピーチは無制限に許容されるのかと一般化することもできる。

社会的弱者に対する嘲笑と差別が公に正当化されるというのはどう考えても異常事態だ。しかしこれは紛れもなく21世紀の文明社会において生じている現象なのである。本稿では弱者男性問題の根源について綴っていく。


弱者男性が「社会の敵」になるまで

先にも少し触れたように「弱者男性」と言葉は2015年に生まれた「キモくて金のないオッサン」という概念に端を発しており、ケアや福祉の網からこぼれてしまう社会的弱者の存在と、彼らを不可視化しようとするメディアや学術界の姿勢に対する異議申し立てというニュアンスを多分に持っていた。

これを上手くソフィスティケートしたのが白饅頭氏の「かわいそうランキング」という概念だろう。これは2017年ごろから使われ始め、氏の書籍出版なども通じて「キモくて金のないオッサン」(KKO)という語に成り代わっていった。そこからより包括的な概念として「弱者男性」という言葉が使われはじめ、2019年ごろまでには「不可視化された男性困窮者」という意味で「弱者男性」という語を用いる文脈が定着していったように記憶している。

この流れが変質したのは、左派言論人がメディアで「弱者男性」論を語り始めた頃からだ。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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