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渡米して1ヶ月のカオスな母子生活:「やっぱり日本に帰りたい」と言うかもしれない瀬戸際

2014年9月

バタバタしていて忘れていたけれど、この土曜日で渡米一ヶ月!なんだか最初の頃はホテル暮らしやし、レンタカーやしで、地に足ついてない生活だったなぁ〜とつくづく思う。どうやって過ごしていたか殆ど覚えていないくらい。ようやく生活が安定したのが月末だから、もう一ヶ月?!?と言った感じで・・・おそらく娘が1番どんどん馴染んでいってる感じがした。まあそりゃあそうやね、娘が来たいと言ったんやし、これで文句言ってたらびっくりするわ。

マーチングに入ったことで、平日最低2回は練習があって忙しいし、その合間に宿題もあって。週末も土曜日は朝から夕方までマーチングがあって、日曜日はダンスもやりたいとかで学校やアパートで幼馴染と練習したり。楽しい高校生活満喫中。とは言え、やっぱり宿題も多いし、英語の授業以外は普通に高校3年生のクラスに入ったのでそれなりに大変で。宿題が多くて焦ってくると、家族に八つ当たりする?!?という現象が起きた。(反抗期はもう終わっていたのに)

息子もとりあえずペースはつかめて来たかな?と言った感じ。生活リズムがついて来たってレベルかもしれん。それでも実は順調に学校に通っていたのは3日目くらいまで。日本のお弁当作ったり、スケボーで学校行ったりで、何とか学校に通ってくれていた。ところが4日目くらいから雲行きが怪しくなってきた。SNSでは今まで書いた事はなかったけれど、帰って来たらほぼ毎日泣きながら文句を言うようになったから。「何言ってるかわからん」「宿題が多すぎる」「宿題が何かのかも分からない」日本人がいるけれどゲームの話していて会話に入れない」「お世話役になった日本人が女子だから」などなど。一緒に入学した北朝鮮のクラスメイトも、英語分からない同士なので何にも通じない。このままいくと、ある日突然「学校行かない」もしくは「日本に帰りたい」と言うかもしれないな・・・と少し腹をくくっていた。その時はもう一人で帰国させるしかないな・・・と。

先ほど言ったように、当初は娘も機嫌が悪い時があり、そうすると弟にキツイ対応をしてしまっていた。今となって思えば自分が蒔いた種的プレッシャーだったのかもしれないけれど、「君は英語喋れないんだから、我慢するしかないわ。嫌ならアメリカ人の友達作るしかないで!」そうなると息子は「ママと君は英語が出来るからいいけど、オレは分からないんだよ!」と決まって怒りながら泣く。このループが学校がスタートして約1ヶ月ほど続いていた。私は宿題も本格的になってきたので、子供達の喧嘩を仲介している暇も余裕もなかったし、なんかもしかしたら腫れ物に触れる感じだったのかもしれないけれど、何事もないかのような態度をとるように心がけていた。そのほうが、息子に変なプレッシャーや変な期待や不安が伝わらなくていいかもと思って。ただひたすら、彼が翌日も朝起きて学校に行ってくれる事を願って、美味しい夕食とお弁当を用意していた。彼を信じる勇気を持てるかどうか、ここでも試されていたかもしれん。

弁当はボリュームもある豚カツサンドイッチ

幼馴染がいてくれた事は、励みになったかもしれない。一緒のクラスは無いけれど、朝は一緒に登校していたから。それでもほんまに学校に行かないかも?と冷や冷やした日もあったけれど、何やかんや登校してくれた。そう言う時は、もう行かないかもしれないけれど、何にも言わず心の中で『ちゃんと行ってくれるといいな』と願い、信じるしかなかった。『何で行かへんの!』とか『行った方がいいよ』などと言うと、私の意見を押し付ける事になって、息子の問題だったのに私のせいにされる可能性があるから。それでも、その時はただやっぱり帰宅してしばらくすると、殆ど泣いてブツブツ言っていたような記憶がある。

宿題に関して語ると3日くらいになるのでやめておくけれど、一つだけ思うところがある。『宿題をやらない=親の責任』なん?!?って事です。『宿題をやるようにしつけていない!』とか『宿題をさせるのが親だ』とか。この呪縛みたいなものが、親へのプレッシャーになり、親子関係を悪くしているケースもあるので、そこまでして宿題をやらせる必要があるのかな?と。小学生の間は宿題が少なかったし、やっていたと思うけれど、中学にもなると親が言おうが、机に座らせようが、やらんもんはやらん。国によっては宿題をやることの弊害が分かり、宿題を無くしたり、削減する学校だってある。将来独り立ち出来るのであれば、宿題をやらずに生き抜く力があるのなら、それはそれでいいのではと。本人が宿題をやらずに困った時に、気が付いてきっとやってくれると信じるしかなかった。(私も大学院ではめちゃくちゃ宿題やっていた)

そしてやっぱり私に似たのか、日本にいた頃から、いかにして宿題をやらないかという事に全力をかけていた息子は、渡米しても同じだった。宿題は殆どやらない。「宿題をやる意味が分からない」とか「どうせやっても誰も見ていない」などなど色々な理由でやっていなかった。先ほど述べた理由により、生まれてからこの方、学校の宿題に関して子供達に『宿題やった?』と言った事はない。私も言われた事がないし。昔塾の先生に『「宿題やった?」と聞いたら、子供達の言い訳作るだけですよ。「今やろうとしてたのに!」とか「言われたからやる気無くした」とか言い返して来るだけです。』と。全くその通りだと思っていたので、宿題をやらない事は私の責任では無いと言う事を伝え続けていた。

ところが今回の理由はこうだった。「だって辞書だと時間かかって無理!」渡米が決まって必要になるMacを祖父に買ってもらったのにも関わらず、電子辞書を持って来るのを忘れていたから。そこでアメリカにある紀伊国屋まで行って、英和辞典を買ったのに、それでは不満だと。まあ、宿題やらない言い訳の一つだったのは分かっていたけれど、そのまま宿題やらずに学校に行かせていた。何度も言いますが、息子が宿題してようがしてまいが、私の成績が悪いと帰国なので。いちいち気にしてられへんかったと言うのが本音。そしてようやく日本から弟が出張で渡米するタイミングで、電子辞書を持ってきてもらった。さあ、これで宿題出来るやん!ってなるかと思ったら、そんな訳がないのが我が息子。まあ、自分も宿題なんて殆どやった記憶なかったので、こちらも自分がやる気になるまで待つしか無いなと。でもホンマにいつか宿題してくれるんやろか・・・ちょっとは不安やった。

日本から来た弟は、電子辞書だけでなく、沢山のお土産を持ってきてくれて(主に食料とおやつ)、子供達もテンション上がる。しかも美味しいお寿司屋さんに連れて行ってくれて、ご馳走してくれた。その弟が子供達が居なくなったところで私にふと聞いてきた。「Rくん、アレ大丈夫?!?」実は息子が数日前、髪の毛がうっとおしいからと自分でカミソリで後頭部を刈りとった。それが失敗してまるで円形脱毛症のようになっていた。『毎日泣いてるんだよね〜S(弟)の時はどうやった?やっぱり思春期の男子にしたら、いきなりしんどいよね〜』なんて相談をしていたらか、弟は息子がアメリカ生活が辛くなり、後頭部にぽっかり穴が空いたのだと思ったらしい。結局息子にもその話をして大笑い。1ヶ月ほど経過して、ようやく笑える余裕が出てきたみたいやった。実はうちの弟も13歳で渡米した時、ちょうど思春期と重なり、色んな逸話がある。これについては弟の許可が出たら、いつか書いてみたい。

夕飯は青椒肉絲と鳥の照り焼きなど

なにはともあれ、充実した週末を送る娘と、だらだらYoutubeを見る週末を送る息子と、週末も宿題に終われるオカン。カオスな1ヶ月が過ぎ去った。課題は息子の週末の過ごし方。このまま2年間週末ゴロゴロ家にいるのは勿体ないな。そしてこれから息子の人生を変える瞬間が来るとは、その時思ってもいなかった。これについては次回書いていきたいなと。

教訓:宿題やった?と聞かない勇気を持ち続ける


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