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私の「コア目的」とその見つけ方

星見当番さんが昨日(23/9/1)ツイートされていた「コア目的」のお話。
今日noteにも書かれていましたね。

この「コア目的」という概念を見て、思いっきりぶっ刺さって、思わず反応した私のツイートがこちら。

私が最近「自分との約束を守っている」のもコア目的あるわ絶対。

と反射的に思った。

昨日のnoteでも書いた通り、最近私は、
筋トレやら片付けやら家事やらなにやらいろいろとコツコツやっている。
自分との約束を守るように日々生きている。

自分の最近の行動・選択の「芯にある究極の目的」=「コア目的」
はなんだ?
何をするときも「コア目的」に立ち戻れば納得して前を向ける。
絶対、自分の行動・選択の「コア目的」を知っておいた方がいい。

そして、ああでもないこうでもないと昨日から今日までずっと頭のどこかで考えていた。
そして今日つい数時間前、シャワーを浴びているときに突然しっくりくる言葉がみつかって。

あーーーーーーーと頭を抱えた。
はい。満を持して発表します。

私がここのところ、
筋トレやら片付けやらなにやらコツコツやっている
コア目的=「芯にある究極の目的」は

「生まれ変わるため」

だったようです。

…いやいやちょっと壮大すぎやしないっすか?
マジっすか?
恥ずかしくないっすか?

と自分で自分に思わないこともない。

が、たぶん、2023年9月2日時点の私にとっては、
これがいちばん腑に落ちるのだからしかたない。

コア目的を見つけた思考回路を、順を追って話そう。

まず、コア目的を探すにあたり、
ここ最近の私が意識してやろうとしていることを並べてみた。

・運動(筋トレ、有酸素)を習慣化する
・予定を立てて決めた通りやる(献立、明日の準備、一日のスケジュール)
・整理整頓する
・使ったものを元の場所に戻す
・毎日何かを続ける

共通点は、何か?

今まで避けてきたこと。
めんどくさい、つらい、と思ってきたこと。

これらの裏にあるのは長年の課題で。
もう幼少期からずっと、
運動は嫌いだからやりたくない。
整理整頓は苦手だから最低限でよし。
計画を立ててその通りできたためしがないし、ノってるときに勢いでやるのが一番。
それで良いし特に問題ない。
とずっと思っていた。

でもここのところ、
・運動しないから基礎体力がなさすぎる(すぐ風邪ひく)
・必要なモノが見つからない
・日々行き当たりばったり
・計画性が無いから忘れ物頻発
というような、「まあ仕方ないか」で済ませていたことに対して、
「いや仕方ないじゃすまなくない?」と感じるようになってきていた。

たとえば。
毎日毎日行き当たりばったりの献立づくりをしていると、
疲れている日は買ってきたお惣菜になりがちで、栄養は偏るしお金もかかる。
何より、毎日毎日頭の中が「今日のご飯どうする」でいっぱいになって、
脳のスペースが空かなくて苦しい。

たとえば。
子どもの保育園の持ち物で「タオル」を入れ忘れたら、
子どもはその日「みんな水遊びをするのに1人だけ部屋遊びする」ことになってしまう。
悲しく寂しい思いをさせてしまった自分に落ち込む。

たとえば、
体重は変わらなくても体型が明らかにゆるんできて、服が入らなくなって悲しい。
ずっと前から体力がないのに、
近年輪をかけて疲れやすくてイライラする。
子どもにも夫にも優しくなれないし何よりそんな自分にがっかりする。


要するに、これまでの自分のやり方、生き方に、限界を感じるようになっていた。


じゃあどうする?


…変わりたい。変わろう。


それが今の自分のコアなのだ。

今まで避けてきたこと。
めんどくさい、つらい、と思ってきたこと。
それらを実際やってみると、
確かにめんどくさいしつらいのだけれど、
そのおかげで楽になれる自分もいることに、
やってみてだんだん気づくようになってきた。

たとえば、ついこの間のこと。

仕事が終わり17時に家に帰って、
息子の宿題チェック、夕飯づくり、娘のお迎え、お風呂、寝かしつけ。
子どもたちが寝て疲労困憊の木曜日夜、22時。
明日も5時起きで出勤。
週末で、疲れはピーク。
めちゃくちゃ寝たい。今すぐ寝たい。

でも翌日金曜日、
家に帰ってきてからご飯を作る時間はないし、
明日は今日より絶対もっと疲れてる。
子どもたちも疲れてる。
絶対に機嫌が悪い。

で、作った。
金曜日の夜メニューに決めていたドライカレーを。
多めに作って半分冷凍して。
息子のお弁当も準備して。
自分のお弁当は、あとおにぎりを朝握るだけにしておいて。

結局寝たのは11時過ぎ。

翌朝めちゃくちゃ眠かった。つらかった。
でも、その日一日、すこし心の余裕がある。
疲労困憊で帰ってから、急いでごはんづくりしなくていい。
帰ってからの段取り、帰りの電車で考えなくていい。
今日はドライカレーをあたためてごはんにのせて出せばいい。
カレーは子どもたちもよく食べる。
子どもの苦手な野菜もたくさん食べさせられる。
私は楽ができるし笑顔になれる。

金曜夜、すごい勢いでカレーを食べる子どもを見ながら、
昨日の自分に感謝した。

昨日、自分で決めた通りドライカレー作ってから寝てよかった!
やるじゃん自分。

もし、あの時何もせず寝ていたら。
仕事をしながらも頭の片隅に「今日の夕飯段取り」があり、
帰り道の電車で必死にシミュレーションし、
急いで帰ってから、子どもたちが「お腹すいた」と叫ぶ中、
イラつきながらあわててご飯をつくって、
さらに疲れ果てて。
ああなんで昨日作っておかなかったんだろうと後悔して、
ああまた行き当たりばったりに生きてしまった、と自分を責めていただろう。
容易に想像がつく。
何度もそういう金曜日を過ごしてきたから。

あの日、疲れ果てていたけど、ちょっと無理して計画通りやったことが、
今日の私の小さな自信になっている、ということ。
それが一番大きくて。

できないことばかりと思ってたけど、
やればできるじゃん私。できたじゃん私。
またきっとできる。

こういうことをひとつずつひとつずつ積み重ねて、
生まれ変わりたい、のだと思う。

星見当番さんの言葉を借りるならば、
「なんのためにこんなつらいことをしなくちゃいけないの!」
と癇癪を起こしたときに
「生まれ変わるため、だよね?」と自答したら、
納得できるか?

うん。できる。

ああ、そうかそうか。
私、生まれ変わろうとしてるのか。
これまでの生き方じゃ限界感じてたんだな。
だから今まで避けてきたこと全部やってるんだな。

あえて避けてきたこと。
気にはなってたけど「好きじゃない」「苦手」で片づけてきたこと。
それらに手を付けてみて。
その積み重ねで、きっと少しずつ自分が変われるんじゃないか。
変わった自分に自信が持てるんじゃないか。

そう思って試してみている。

そして。
お気づきの方もいるかもしれない。

「生まれ変わる」というキーワード、
これは私の太陽星座、蠍座の概念につながる。

蠍座の支配星は冥王星。
変容。元には戻らない変化。

「蠍座は人生で何度か精神的な生死をさまよう」と聞くけれど、
私は少し前までの自分のことを「メンタル死にそう」と認識してはいなかった。

でももしかしたら、死にかけていたのかも。
「今の生き方じゃ、もう限界」
ってそういうこと。

何度も何度も失敗して後悔して、でも変えられなくて。
じゃあ、ひとつずつやっていこう。
今、そのフェーズなんだな。

生まれ変わるって、
なんだか大層な話に聞こえるけど、
今までやらなかったことをやってみる、
というだけのことで。

私にとってはそれが
「コツコツ地道に自分との約束を守る」
という手法だった。

生まれ変わる、って、
劇的に突然ガラッと変わることばかりじゃなくて、
コツコツ積み重ねてみて「振り返ったらめちゃくちゃ変わってるやん」
っていうような変わり方もあるのかもしれない。

自分でも気づかないけれど少しずつ、
変わってきているんだろうと思う。

ここまで読み返してみて、
単なる「変わりたい」
じゃなく
「生まれ変わりたい」
というところが、
なんというか蠍らしく、自分らしいような気がしている。

こういう芯の部分は、決断したら相当の覚悟。重い。
容易には変われない、とも思っている。
これまで生きて重ねてきた数十年の自堕落さを、
どうにかしたい。

あらゆる手段を使って、
ひとつずつ積み重ねよう。

コア目的という武器を手に入れた今、
またひとつ自分は強くなった気がしている。
くじけそうなときはまたここに戻ろう。

最後に、心からの感謝を、「コア目的」に気づかせてくれた星見当番さんへ。

本当にありがとうございます…!!!

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