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十人十色

私は不安障害を抱えている。
加えて引きこもりだ。
長いこと社会との関わりを断っていると、自分が異分子のように感じられて疎外感を覚える。
毎日降り積もっていく劣等感が大きな塊となってのしかかり、連鎖的に自分以外の人たちを輝かせていく。

社会に生きている人たちが眩しい。目映く見える。
道をゆく学生さん、会社で働く人、子育てをしている人、
ご近所さんだって、スーパーのレジの店員さんだって、
私から見ると、地に足をつけて、喜怒哀楽を抱えて、人生を謳歌しているように見える。
誰もが自信に満ち溢れて、幸せで、輝かしい未来に向かって歩んでいるように見える。

それなのに私は、怖いという理由で社会から逃げて、鬱々とした毎日。
私は異分子で、孤立して、動けないでいた。

ほんの気まぐれで、Twitterを始めた。
不安障害で検索をかけると、予想以上に多いツイートがひっかかる。
プロフィールを見て、フォローしてつぶやきを見ていると、
みんなが苦しんでいた。
日々の体調、病院での診察のこと、飲んでいる薬のこと。
家族や友人関係、仕事のことで悩んでいた。

精神疾患、発達障害、身体障害、癌や内蔵、脳の病、治療困難な難病や、原因不明の症状。
毒親のこと、パートナーのこと、性のこと、子どものこと。
みんな抱えて、生きていた。
時には疲れて、時には死にたいと言いながらも、必死に生きていた。

世の中は全然シンプルじゃなくて、想像以上にごちゃごちゃしている。
目に見えないだけで、言葉を交わしても気づかないだけで、

道ですれ違った誰かも、うつ病かもしれないし、
誰かも離婚調停中かもしれないし、誰かも余命幾ばくも無いのかも。
それでも生きているのだから、仕事をして、生活をして、
それでも生きていたいから、治療をして、リハビリをして、
輝いてなんていない未来へ歩いていく。

完璧な人なんていない。世界は完璧じゃない。
なら、完璧には程遠い私でも、社会の一員だと認めてもらえるだろうか。

欠点だらけの人間が集まる場所が社会だというのなら、
私は少し、社会を愛せる気がする。


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