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noteでの立ち振る舞い

いつもここnoteで悩むことがある。例えば自身はNikonユーザーでその興味を追いかけてくれている人もいれば、自身のエッセイを楽しみにしてくれる人もいる。その中身も前向きな話もあれば悲観的な時もある。

一方で閲覧者は僕に対して固定的な記事を定期的に発信してほしいと願っている。よく地上波の情報番組が偏るのもそうだ。わかりやすいところでいうと悲観的な情報をわざわざテレビで見たくないなどの声をある意味反映しているわけだ。世の中の人は現実の悲喜交々でお腹いっぱいなわけだ。

その意味でnoteとかのチャンネルにおいても理想はとある仮面を被り世を偲ぶ仮の姿を演じる方が多分世間的なウケはいんだと思う。けど一方で世間様はその演じる仮面こそ真の姿として定着される。ある時期から仮面が仮面じゃなくなるんだろう。

演じるならば墓場までと考えるか、表と裏がある本来の自分で立ち振る舞いをするか。多分人によりさまざまなんだろう。正直自分はそんな器用さはないなと笑笑 でもそれはそれ人は人、自分は自分だよね。

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