人との距離感:信頼ってなんだ

「付き合うって何が変わるんですか?!」から始まったお付き合いも、もう4年目。
さあ、何が変わったのか、振り返ってみよう。

まずは、信頼度が変わっていったと思う。でも、これは時間が変えていったもので、付き合ったことで変わったことではない気がする。 けれども、"まずは"と書いて、いくつか事象を並べることを予感させておきながら、他に思い付くことはない。

じゃあきっと、信頼度なんだ、私にとっての付き合うは。
信頼してもいいんですよっていうシグナルに、本当に?って不安を抱きつつも、同じ時間を共有することで信頼が固まっていく。ここでの"信頼"は、あなたが私を裏切らないことを信じる、というマイナスのニュアンスよりも、あなたの判断(がどうであれ、私はそれ)を信じる、というプラスのニュアンスが近い。

いや、最初は違った。初めは、信じて大丈夫だよね…?裏切られないよね…?って一寸先は闇だった。だって、本当のあなたとか知らないし。本当の私でさえわからないのに。そこから探り探り前に進むことで、ああこの人は信じて大丈夫、いつでも私の味方でいてくれるって安心感を得られるようになった。そして、裏切られてもいいから、あなたの判断を信じるってニュアンスに近づいたんだ。

ここで、そもそもなんだけど、初めは裏切られる前提があるんだなあ。性善説を信じていたはずなんだけど。

付き合うことにおける、裏切りってなんだろう。浮気?裏で笑われること?別れを切り出されること?
またまたそもそもなんだけど、"裏切り"って冷たすぎてなんか違うんだよな。
代わるイメージは、置いていかれるとか、きらわれるとかかな。全幅の信頼を寄せたはずの人に置いていかれるのって寂しすぎるから。
うんうん、寂しいのは悲しくて避けたいことだから、裏切られることを前提にして、予防線を張ってるんだ。

これって、きっと私にとってみんな等しくこうなんだ。友だちも先輩も後輩も、…両親も。常に距離をとっていないと心が乱れてしまう。寂しいけど、自分から距離を置けば寂しくない、みたいな。そんなきれいな話じゃないけど。めんどくさいな。

いったいどうなりたいんだろう。
私は自分の意見は置いておいて、誰かに判断してもらいたがる。これが今の距離の原因だと思う。来る者はある程度の距離まで拒まず、去る者は追わず。けれど、"私が"寂しくて、繋がっていたい人はいてもいいはずなんだ。気づいていなかったけど。

自分と向き合うことだ、主観的な自分と。
そして、認めて発信する。

やっぱりこれが、今年のテーマ。

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