学歴は大事だが、全てではないという問

私は学歴は大事だが全てではないと思っている。

だがこの話をするにあたって自分の状況と学歴を言わなければならない。

「学歴は大事だが、全てではない」これを言うには東大でも出てなければ言えないだろう。

安心してください。現在無職(ずーっと無職、希望を込めて現在無職)の一浪F欄大学卒が語っている。つまり戯言である。

ここで読むのをやめた読者が大半だろうが、残ってくれたみなさんありがとうございます。

学歴が大事な理由。それはそれなりに勉強してきたということの証明ではないだろうか。多少の嫌なことでもコツコツ取り組める。その証である。

また勉強がそれなりにできるというのは、これから覚えることにもきちんと取り組めるということではないだろうか。例えば仕事で必要な資格が出てきたときにその資格を取らなければいけない。そんなとき、自分にあった暗記の方法や集中力の保ち方を知っていれば、その資格の取得もスムーズだと思う。

つまり、コツコツ何かに取り組めればそれは、いわゆる学校の勉強でなくてもいいと思うのだ。

大谷翔平さんに向かって、やれ高卒だ。藤井聡太さんに向かってやれ中卒だ。

そんなことをいう人は、たぶんひとりとしていない。

なぜなら彼らは特定の分野にしっかりと打ち込み、素晴らしい功績を残したからだ。

大谷翔平さんは勉強に打ち込む代わりに野球に打ち込んだ。藤井聡太さんは勉強に打ち込む代わりに将棋に打ち込んだ。
(彼ら程の人なら勉強に打ち込めば高い学歴も得られる気もするが)

そして、大事なのは大学を出た後に何を成したかだと思うのだ。

学歴を大人になって誇っている人はたぶんそんなにいない。

現在の肩書を誇る人のほうが多いだろう。

中卒の社長がいたとして、彼に中卒だとマウントを取る人はいないのである。

そしてこれは学歴至上主義の中に囚われている中高生に向けて書いている節がある。

人生は大学を卒業してからのほうが長いのだ。

勉強しなくていいといっているのではない。

勉強は圧倒的にしたほうがいい。

しかし、勉強だけが全てでもないのだ。

勉強ができないのを理由に自殺しようとしている人がいたらすぐに自殺はやめよう。

かくいう私は勉強をしないと殴ってでもやらせるという家に育った。
私はそれに対し反抗しながら精神を病んで統合失調症という病気にまで昇華した。

どうせ勉強もできない、しかも何にも打ち込んで来なかった人間になるくらいなら、何か好きなものに熱中する人生を送りたかった。

というかそもそも何か成さなくてもいい。というかそんな大したことを成さずに淡々と仕事に打ち込んでお金を稼いでそれなりの人生を送っていれば大満足である。

ここまで読んだ中高生がいたとしたらたぶんやっぱりF欄大学卒だと無職になるようなどうしようもない奴になるんだ。
という感想が得られそうだが、私の大学の同級生は立派に就職し、きちんと楽しい人生を歩んでいるのでF欄大学を出ても幸せは掴めるというのは明言しておきたい。

ネットの海に浸かってると学歴至上主義に傾きかねない。

MARCHでも学歴が低い。と言っているやつらは本当に社会を知らないと思う。

日本の大学進学率は今は上がってきていて6割近い。

でも、そもそも大学に進学する段階で日本の人口の4割は大学に進学していない。

つまり、大卒は高学歴では依然ある。
(まぁ私が採用担当なら私のような一浪F欄大卒はタチが悪いので採らない。)

そして、大学に進学したところで大学を卒業しないやつらもいる。(驚くだろうがF欄大学でも中退者はいる。)

そして、大学にいけなかったというのは社会を知ればわかるが、勉強ができなかったからではなく、大学に行く金がなかったとか、そもそも勉強をまっとうにできる環境にいなかったという人もいっぱいいる。

選ばれし勉強がちゃんとできる環境に身を置き、しかもその中できちんと勉強の努力ができて、さらに大学進学者の平均より上というのがMARCHである。

下手に進学校に身を置いたせいで、周りが東大、国公立ばかりに進学するなかMARCHにしか受からなくてコンプレックスを抱えるなんて人もいるだろう。
しかし、それは人類の上澄みのさらに上澄みの中での話である。

大学は人生の通過点に過ぎない。

厳しい大学受験戦争の中で精神を病んでいる人に、ネットのわけわからん学歴厨の意見に耳を傾けて、人生を悲観しないで欲しくて書いてみた。

それを振り返ると私は勉強を十分支援してくれる家庭に育ちながらそのチャンスを活かすことなく無職に落ち着いている最上級のクズであることがよりはっきりした。

しかし、自分を責めても何も解決しないので、障害者手帳という武器を片手に障害者雇用にチャレンジすべく、今日も就労移行支援に通う。

私の人生から言って大事なのは、五体満足な健康な体と、根拠のない自信という健全な精神(メンタル)の2つが突き詰めると人生では大事ではないかと思う。
そしてメンタルと体どちらが大事かと聞かれればメンタルと私は答える。
現に五体満足な私が、不健康な病んだメンタルのせいで人生を台無しにしているからだ。

勉強のできなくて困っているそこの君、大丈夫。勉強より辛いことは人生にたくさん待っている。勉強をすることで自分の自信がガリガリ削られるなら辞めてしまえ。

君のメンタルが一番大事だ。健康な体があってもメンタルを病むと1日中ベッドから動けないみたいな人生が待っている。

何か熱中できるものを見つけよう。

そんな熱中できるものが見つからないよと落ち込む君。

大丈夫。熱中できるものが見つかるかは結構、運だ。

人生は運ゲーだと嘆くかもしれない。でもソシャゲのガチャなら欲しいものが出るまでガチャを引くだろう。好きなものを探してみるというガチャを回すのをやめないで欲しい。

君が人生でやってきたことのないものの中に熱中できる何かが眠っているかもしれない。

自分はどうせ何をやってもダメだ。これは呪いである。

何か向いているものがあるかもしれない。

そうやって生きてみて欲しい。

無能な無職の戯言である。若い人に届くといいなと思っている。

書いていて自分のセラピーにもなった気がする。
無職の自己満足の駄文に最後まで付き合ってくれた人がいたらありがとうございます。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?