拝啓、独身の私。

呪詛が詰まってんのか?と思うくらいの、卑屈と妬みと嫉みが入り混じった独身の頃を、最近思い出す。

その中の1つに「なんで結婚したら2秒に1回は配偶者の話が出てくんの?」があった。呪詛というか、あなたの話が聞きたいのに、話したこともない配偶者の話だけされてもよく分からないよ、ってことなんだけど。既婚の友達と話すと、ジワリと立ち込めるその思い。


結婚って、配偶者に主権を持ってかれるものなんだと思っていた。それぐらい配偶者の話が出てくるから、「何?」と思っていたのだけど、独身の頃、既婚の友達に向けた「何?」の刃が、結婚してからの私に全部ぶっ刺さっている。

結婚指輪を見るだけで、「配偶者がいることを強制的に視界に入れられるのめちゃくちゃ嫌だな、何のアピールだよ」と思っていたけど、結婚して分かったのは、何のアピールでもないということだった。昨日もつけていたから今日もつけてる、それ以上でも以下でもない。毎日つけてる結婚指輪に思いを馳せては他人にアピールをしていられるほど、人間は暇ではない。

受け取る私の卑屈さが、結婚指輪をきっかけに浮き彫りになっていたんだと、今なら分かる。でも、独身のときに仲が良かった友達が、配偶者の話しかしないことで「あーなんか変わっちゃったな」と思うのが本当に嫌だった。配偶者に友達を奪られたような感覚だから、恋敵(一方的)の話をされてもムカつくだけであり。ムカついてる私にもゲンナリしたり。

そんな思いをずっと抱えて卑屈に生きていたあの頃の私は、今も無くなっているわけではない。あの頃のトゲトゲした私が、今の私を睨みつけている。

その視線が怖くて、独身の友達と会うときは指輪をつけないし、旦那さんの話は聞かれない限りしない。誰からも、あの頃の私からも、恨みは買いたくない。私が不愉快に思った既婚に対する全てのことが、今の私を縛る鎖として働いている。呪詛〜。


結婚してみて分かったことは、既婚の友達は配偶者の話しかしないわけではなく、自分の中で「こんな楽しいことがあったよ!」と思うことは、配偶者と何かしたときのことが多く、結果的に配偶者が話の中に登場してくる回数が増える、というだけのこと。

なんだけど、その話を初めて聞く私は、配偶者の登場シーンだけを拾って勝手に不愉快になる、という視点のズレ。友達も別に意識して配偶者の話を出しているわけではないというのは、結婚した後に分かった。

今、友達と会って、旦那さんに関係のない話をしようとすると、本当に何を話したらいいのか分からなくなる。分からないなりに話すけど、結婚しただけでこれなら、子育てしてる人が子供の話しかしなくなるのも分かる、とも思う。

自分以外の他人と過ごすと、1人で悶々としているときより遥かに気付きが増える。喧嘩をしても気付くことがあるし、嬉しいことがあったことも気付くことがあるし、私が思ってもみなかったような言葉は、当たり前だけど自分以外の他人からしかもらえない。

結婚はその気付きの機会が多くなるので、生活の中で印象に残りやすくなり、結果的に配偶者の話になる。

という話なんです、独身の頃の私。別に友達は変わってしまってはないのです。配偶者は、気付きチャンスを、独身の頃以上に運んできてくれることがあり、それが話のタネになっているだけなのです。他意もない。マウントもない。ただの雑談です。深い意味を勝手に見出して勝手に落ち込むのはやめましょう。その落ち込みは、既婚になったあなたをしっかり苦しめます。



旦那さんにこんな話をすると、「そんなこと1秒も思ったことがない」と言われた。「結婚を良いものとも悪いものとも思ってなかったから、相手が結婚してるとかしてないとか意識したことないし、それで感情が動いたこともない」とのこと。

そういう人間がね!独身の私を苦しめるんだからね!!と謎のキレをかましたら旦那さんは「そうなんだ〜、気を付ける〜」と言っていた。優しい。優しいね本当に。こういう人が無邪気に配偶者の話をしてくるんだよ。そしてその無邪気さゆえに、こっちも何も言えなくてね、そのまま幸せに大きくなっとくれとも思う。思うけど、旦那さんが私みたいな人間から呪詛をかけられるのはちょっと勘弁願いたいから話してみた所存ですわ。


配偶者の話を無邪気にできるような大人になりたかった、きっとこの配偶者の楽しい話をしたら、相手も笑ってくれると思える健全な心を、私も持ちたかったなぁと思う一方で、あの頃の、呪詛の私のことを蔑ろにしたくもない。独身でも既婚でも、誰と話すときでも、あの頃の私でも、楽しいと思える話し方をしたいなぁって思う。

不憫な旦那さんに全額寄付します。