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『玉葉和歌集』秀歌 梶間和歌選


百花繚乱、『玉葉集』を知るべく

「和歌ですか! いいですね。僕も『万葉集』や「百人一首」はちょっと読みましたし、実朝も大好きです! 」
などと言う人の多くが『万葉集』の歌風を大まかにひとくくりにしていたり、
実朝など彼が実際に一生懸命取り組んできた題詠、本歌取りの歌などありてなきがごとし、雄大で自由なぞう(ざふ)歌しか知らない程度で「実朝好き」とうそぶいていたりするもの。あの世で実朝はどう思っていることでしょう……。

私もそのような頻発現象にいちいち目くじらを立てるほど暇ではありませんが、言われるたびに心に冷たい風の吹き通ることは事実です。

西行も実朝も決して悪くはありませんが、あれが和歌のすべてだ、王道だ、と思われてはどうかという感じですし、
まして『万葉集』が和歌の基本、短歌を詠むにもまず基礎として『万葉集』を、などと言い出す現代短歌の大先生方については

「あなたたちが騒ぎ出すまで約千年、和歌の基本は『古今集』でしたよね……??? 」

と突っ込みたいところです。
まあ、それでも和歌を踏まえようとする姿勢は、すべてを無手勝流で済ませようとする個性礼賛の怠慢現代歌人たちよりずっとマシですが。


さて、和歌を詠む主たる層である貴族が政治の実権を握っていた平安時代と、彼らの見下してきた武士階級が台頭しどうにも無視できなくなった鎌倉時代以降。
歌人たちの生きる時代の変化に伴い、彼らの詠む和歌の歌風も明確に変化しました。

一言で表すならば、「悠長な気配がなくなった」というところでしょうか。

余裕のない詩歌などつまらない?
さて、どうでしょう。自らの存在やあり方を疑うことなく全身全霊で身の憂さを嘆いていられた平安時代の和歌を「いいねえ」と味わえるのは、
自己や世界を厳しく見つめ、相対化し、メタ認知する視点を手に入れた(手に入れざるを得なかった)中世歌人の和歌を知るまでのことではないでしょうか。


私、梶間和歌は2012年、『新古今和歌集』という鎌倉時代初期に編まれた和歌集に出合い、衝撃を受けまして、和歌の道に踏み入りました。
その冷たく輝く超現実の美に魅せられた気持ちは現在も変わりません。

ただ、和歌の学びを進めるなかで、私の興味関心は次第に「京極派」と呼ばれる和歌グループの和歌や歌論、人生のほうに移ってゆきました。

彼らの生きたのは、新古今歌人たちのだいだい100年ぐらいあと。
前期京極派歌人たちは鎌倉時代末期、後期の歌人たちは南北朝時代の初期に主に活動しています。
南北朝の動乱に巻き込まれ、京極派は70年弱で瓦解することになりますが、
主流派である二条派とは異なる歌論、思想のもと強く結束した彼らの活動は、『玉葉和歌集』『風雅和歌集』というふたつの勅撰和歌集に結実しました。

新古今和歌を「現実を越えた概念(イデア)の美の言語化」と表すならば、京極派和歌は「現実を冷徹に見つめたその先に見える美の言語化」とでも言えましょうか。
それは、
「心のまゝにことばのにほひゆく」よう歌を詠むべしとする歌論を奉じながら、その心のままに歌を詠んでも決して歌を弛緩させない心を持つべく、心を厳しく鍛えること、
自己都合に偏った世界認識をしようとする幼稚な心を、理性や知性を以て成熟させること、
こうしたことに京極派歌人たちがおのおの務めた結果です。

沈み果つる入日いりひのきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峯 京極為兼
つくづくと春日はるひのどけきにはたづみ雨の数みる暮ぞさびしき 九条左大臣むすめ
我も悲し草木も心いたむらし秋風ふれて露くだる頃 伏見院
入相いりあひの声する山のかげくれて花の木のまに月いでにけり 永福門院
つばくらめすだれの外にあまたみえて春日はるひのどけみ人影もせず 光厳院


彼らの捉える現実、特に自然は、おしなべて優しく、繊細な匂いや輝きに満ちています。
身の憂さや政治状況を自然に託して嘆いていた、言い換えるならば、【自分のために利用すべき対象】として無意識に自然を捉えていた平安時代の歌人たちには決してできない、まっすぐな自然把握あってこそ成り立ったものでした。

ある意味で平安歌人たちは、そのような生ぬるい自然の捉え方が可能であるくらいには恵まれた政治状況にあったと言えます。
天皇を殺害しようとする武士がその寝所に押し入るとか、天皇の目の前で護衛の武士432名が切腹する、その流血の惨事のなか天皇や上皇が立ち尽くすとか、上皇や皇太子が敵対勢力に囚われ数年にわたり拉致されるとか、そんな話を私たちは平安時代の日本史に見出すことはできません。
そして、これらは京極派歌人たちの経験したことです。

厳しい厳しい現実を、心を澄まして生き、結束して和歌を詠んだ京極派歌人たち。

前期京極派和歌の集大成である『玉葉集』には、「心のまゝに詞のにほひゆく」ようおのおの試行錯誤した結果が百花繚乱咲き乱れています。
基礎教養も先人への敬意も何も持たない現代歌人たちの言う【個性】とはとても同列に語れない、真実個性豊かな和歌の数々をご覧いただきたい。

また、後醍醐方についた赤松勢が京に乱入し、光厳天皇が危うく殺害されそうになり、命ながらえたもののその正統な即位を否定され(廃位ではなく即位の事実の否定・・・・・・・・)、南北朝の争乱に突入するその時期に青年期を生きた、後期京極派歌人たち。
そんな人生背景を持つ彼らの和歌の多く入集する『風雅集』には、冷え冷えとした宗教性、突き詰められた思想性を伴った、慈愛深い和歌が数多く収められています。

現在、書籍執筆のため愛読する『新古今集』『玉葉集』『風雅集』を冒頭から読み直している梶間和歌が、これらの秀歌選をnoteにまとめて参ります。
こちらはそのうち『玉葉集』の秀歌選をまとめるページとなります。
梶間和歌の目を通して選ばれた『玉葉集』らしい和歌、『玉葉集』の秀歌、それらを『玉葉集』そして京極派和歌を味わう取っ掛かりとしてご利用いただけましたら幸いです。


すべてではないものの、然るべき歌にはコメントを付すつもりですが、
もとは私オリジナルの作品でも文章でもなんでもない他者の歌、そしてそれらの編まれたアンソロジーからの秀歌選。
当然無料記事として公開したいのですが、

noteの仕様上、無料記事として出しますと、
記事が加筆、更新された際にどなたにもその旨が届かない、その方の最初に見た瞬間までの記事しかその方には(おそらく)永遠に読まれない、

ということがございます。

これを避けるため、低価格ですが有料記事とすることで、購入者の方に更新の都度通知を飛ばす形を取らせていただきます。

『玉葉集』にほぼ初めて触れるという方には「こんな歌があるのか」と知るための取っ掛かりとしてお楽しみいただきつつ、
長年の梶間の読者様には、歌を選ぶ際の梶間の基準をおもしろがったり、添えたコメントから梶間の思想の理解を深めたり、といったところにも価値を感じていただけるかもしれません。

随時更新して参りますので、全20巻分終えますまでお付き合いくださいませ。

【追記:全20巻分終えたのち、秀歌選を無料公開する可能性があります。
ただ、それがいつになるかはわかりません。
完成までをアップデートで楽しみたい方はぜひ有料でお楽しみください】


すでに『新古今和歌集』の秀歌選記事は書き始めておりますし、のちのち『風雅和歌集』の秀歌選記事も作る予定です。その他私家集も必要に応じて記事化するかもしれません。
こちらも楽しみに、お待ちくださいませ。


『玉葉和歌集』秀歌選

「春上」
「春下」
「夏」
「秋上」
「秋下」
「冬」
「賀」
「旅」
「恋一」
「恋二」
「恋三」
「恋四」
「恋五」
ざふ一」
「雑二」
「雑三」
「雑四」
「雑五」
「釈教」
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梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
私はもちろん喜びますし、それは日本や世界の未来のためにも喜ばしいことであろうと確信しております。

「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
「こういうまっすぐな人が健康に安全に生きられる未来って希望がある」
なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。


noteでのサポート、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。

今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。

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『新古今和歌集』『玉葉和歌集』『風雅和歌集』の和歌あまたのなかから、梶間和歌の基準で秀歌と見える歌をピックアップ、必要に応じてコメントを付…

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