第32回歌壇賞応募作30首詠 「偽薬を飲んで」
第32回歌壇賞応募作30首詠
「偽薬を飲んで」
梶間和歌
起き抜けにけふは偽薬を飲み込めば橘匂ふ夢遠ざかる
紅を引くアイロンを当つその髪をひとつにくゝり安全靴(アングツ)を履く
ゆりかもめひとつ見送り席を取り八分間を寝て過ぐすなり
やゝ強き潮の香に顎の汗拭ふ午前七時はもう日が高い
喫煙所に視線走らすだいぢやうぶもうあいつには二度ゝ会はない
だゞつ広いホールが好きだ六時間後にはすつかり様変はりする
建て込みに入(はい)れ地組(ぢぐ)めと指示を受けラチェ捌く腕の鳴る月曜日
あるんだな地組(ちぐ)みの癖が左膝ばかり破(や)れゆくスキニーパンツ
茄子紺のカーゴパンツの裂け目より冷たき床(ゆか)のつめたさを知る
こゝぞてふ肩と腕との接点に二七〇〇ミリポール(ヽイナヽ)支へ組み上げてゆく
ラチェットを握るあひだは忘れらるこゝに子宮があるといふこと
ヘルメット脱げば潮風パシフィコもビッグ、メッセも日の入らぬ海
菅田将暉似(スダマサ)も向井理風(むかゐをさむ)もゐる現場シングルファザーと弁当を食ふ
あさつての急な現場にあの人がゐないならばとけふも返しつ
建て込みはあらかた終へてメンテする午後はつれづれ潮騒をきく
橘は橘である菅田将暉(スダマサ)も向井理もいまこゝにゐる
背で語るをとこ細かく指導する男それぞれ匂ふなりけり
とびきりのイケメンぢやないけどいまはシングルファザーと帰途に就くのだ
いゝ男いくらでもゐる職場にて橘の香をきゝ紛ふなり
ふだんより熱めのシャワー浴びたくて爪先に当つけふは満月
けふ明日かとは思つてた腿(もゝ)を伝ふわづらはしさを洗ひ流しつ
今月も狂ふことなく時を刻む若く健康である肉体
琺瑯のバケツに水を張つてゆくもう溶けきつたアルカリウォッシュ
あと六つ偽薬を飲んでそのあとはきつと生涯母とならない
潮風の匂ふ夢見る手枕にあるかなきかの橘の花
今朝も又安全靴(アングツ)の紐きゆつと結ひ顔を上ぐればガテン系女子
ラチェットを投げて寄越したあの時のあなた、笑つてゐたの 橘
補強ビーム(ホキャウ)の捨て方も脚立を置く位置も我れの血肉となつてゐるひと
血の味に似る海風が好きだつたその肩越しにのぼる太陽
潮風にまじるかをりは夢を見てゐるよこゝには咲かぬ橘
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