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いにしへの和歌まとめ~京極派系勅撰集、そして新古今集冬歌~

「いにしへの和歌まとめ」2020年12月第3週~第5週

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。


明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお付き合いいただきますよう。

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和歌まとめをしばらくお休みしておりました。


前回のまとめは恋歌づくしでしたが、


次の週からは冬歌の紹介に戻りました。

やはり、季節感も大事^^


この記事では3週分の紹介することになりますが、

前半は京極派和歌と『風雅集』入集歌が多め。

後半は『新古今集』入集歌ばかりです。

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京極派の冴え冴えとした冬の歌は、

鑑賞していて実に気持ちよいです。


季節の歌は春と秋が充実していて夏と冬はお義理程度、

というのが昔からの伝統。


京の夏と冬は厳しいですからね。盆地……。


ですが、新古今時代あたりからか、

冴えわたる冬の美が歌の対象として捉えられる、

というふうに価値観が変化してきたよう。


京極派の季節の歌の多くには

実感や解釈のようなものがほとんど入りません。


その厳しさと、冬の美のイデアの内包する厳しさと、

きっと相性がよかったのでしょうね。


野暮な語りはこのあたりにして、

冬歌をそれぞれ味わってみてください。



12月14日 おほぞらのゆきげのくもはゝれながらこほりのしたにくもる月かげ


京極派揺籃期に活躍し早世した源具顕。


歌は、まず姿です。

姿の構成要素としては、韻律や型などがあるでしょう。


たいして文法も理解できていないくせに

乏しい知識と読解力で

歌の意味に対してのみの評をする

現代短歌の人たちに、


こうした姿の美しい歌を

おいそれと評していただきたくありません。


12月15日 冬さればさゆる嵐の山のはにこほりをかけて出づる月かげ


二条為世。御子左家嫡流の二条派の宗匠です。


私の愛する京極派の為兼は為世のいとこ。

為兼は傍流ながら強い信念があり、

嫡流の為世と激しく争いました。


「冬されば」が二条派系の勅撰集ではなく

京極派系の『風雅集』に入集したことにも、

この歌の姿を見ると納得できます。


まれにかもしれないけれど、

こういう歌も、為世は詠むのだなあ。


12月16日、17日 吹くとだにしられぬ風は身にしみて影さえとほる霜の上の月

後期京極派歌人、儀子内親王。


コラム記事が長くなり複数の章に分けることは

ありますが、

和歌の解説が長くなりすぎて複数に分けたのは

これが初めてです。笑


【前編】では文法の話、

【後編】では訳をはじめとした作品の個性の話を

主にしています。


誰が書いても同じになる、

誰が書いたのかわからない、そんな訳は

してもあまり意味がありませんからね。

辞書にさえ各編纂者の個性が表れるのに。


私らしい訳にしよう、なんて意識的に考えて

そうしたわけではありませんが、

結果的にそうなっていたということに

いろいろなものが表れていたと思います。


12月21日 冬ふかき谷の下水音たえてこほりの上をはらふ木がらし


伏見院第二皇子、恵助法親王。


現代日本は一夫一婦制が原則ですから

イメージしにくいかもしれませんが、


“天皇の息子、娘”であるからといって

彼らが等しく扱われていたわけではありません。

貴族の子女も同じです。


生母がどのくらいの地位か、

また生母がどのくらい愛されているか、

によって子どもの進退は変化します。


光源氏が第二皇子でありながら

親王宣下されず臣籍降下された理由は、

母方の実家の力ゆえ、でしたね。


光源氏には、

親王宣下された弟(蛍兵部卿宮、八宮)も

東宮になり天皇になった弟(冷泉帝)も、いますから。


(冷泉帝が実は光源氏の弟でなく実子であることは、

 ここでは置いておきます。

 社会的には、彼は光源氏の弟、桐壺帝の息子ですから)


異母兄弟である以仁王と高倉天皇の運命の違いにも、

母方の実家の力の差が

ひとつの大きな要因になっていた、と言えます。

彼らの父は後白河院ですね。


12月22日 さむき雨はかれのゝ原に降りしめて山松風の音だにもせず


おなじみ、伏見院中宮、永福門院。


この「さむき雨は」がそうである、

という意味ではありませんが。


既存の型を脱却しようとして生まれたはずの京極派に

「これは“京極派あるある”よね」と思われる型が

早くから見受けられていた、


という事実には、いろいろと考えさせられます。


12月23日 さゆる夜の雪げの空の村雲を氷りてつたふ有明の月


ふたたび二条為世。


四句が一首を支える

ということは、和歌を概観していてよく見られます。


『千載集』とか、その前あたりから

そういうのがちらほら出てきたかしら。


「四句の表現が珍しいだけ」という失敗例もありますが、

「四句が一首を支えている」と評されるべき成功例も

数々ありますので、

そういうものから要素を摂取することも

詠歌上有意義でしょう。


12月24日、25日 駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ


天才、藤原定家。

ここから『新古今集』入集歌が続きます。


【前編】には、やたら

「励まされました! 」というご感想が寄せられました。


何もわかっていないなりに和歌の訳を始めたところから

現在のこのブログがある、

完璧を求めていつまでもこの歌の紹介を避けていても仕方ない、

というような話をしています。


【後編】では、本歌取りと本歌についての話を。

日本酒専門店でのエピソードなど混ぜてみました。


クセの強い名歌はそれ自体を鑑賞すべきであり、

本歌取りには向かない。

本歌取りの本歌として向くのは、

その自体にたいした意味のない、歌境の浅い、

そのぶんどうとでも展開させられる歌なのです。


12月28日、29日 待つ人のふもとの道は絶えぬらむ軒端の杉に雪おもるなり


藤原定家。


現代人の怠け癖を戒めつつ、

古典和歌や古典文学にリスペクトを持って

接してゆきたいですね、という話をしました。

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結社の先生や

現代短歌業界のえらーーーーい先生が

こう言っているからどうこう、


ではありません。


古典和歌にリスペクトを持っているならば、

和歌との対話や辞書や文法書の確認といった

少々面倒くさい事も、省かずできるはずです。


そして、最終判断は自分の責任でおこなう。

学習を進めるうちに

過去の自分の判断の間違いに気づいたら

謙虚に認め、訂正してゆく。


当たり前の事ですよね。

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ですが、その当たり前の事がついおろそかになり

えらーーーーい先生の権威に寄りかかろうとするのも

また自然なこと、人間の弱さです。


自分が弱く怠惰な存在であるということを自覚しつつ、

「でも、リスペクトは持っていたい」

と自分に対して願いつつ、

和歌やその他の古典作品と向き合ってゆきたいですね。


12月30日 夢かよふ道さへ絶えぬくれたけの伏見の里の雪のしたをれ


御子左家と対立する六条藤家出身でありながら

御子左家に接近していた、藤原有家。

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識字能力があり、

日本語を母語としていること。

この記事を読んでいるほとんどの方に

当てはまる事ですよね。


一見当たり前のように思えてしまうこの2つの事が、

和歌を味わううえでどれほど有難いことか。


外国語として日本語や和歌を学ぶ非日本語ネイティブには

絶対にできない、豊かな和歌体験が、

私たち日本語ネイティブにはできるのです。


その幸運を本当に味わい尽くせているのだろうか。


非ネイティブが見た時に

「そんなに恵まれた環境にありながら、

 なんて傲慢な和歌の享受の仕方をしているのか」

と言いたくなるような和歌の読み方を、していないだろうか。


常々自分に問うてゆきたいですね。


12月31日 このごろは花も紅葉も枝になししばしな消えそ松のしら雪


和歌界のジャイアン、後鳥羽院。

『新古今集』編纂を命じただけでなく

その撰集作業に積極的に関わり、

撰者たちに大変な苦労を強いた(笑)上皇さまです。


言った事をすぐに覆す上司って嫌ですよね笑


そのジャイアンによる、これは

定家の「花も紅葉も」の本歌取り……ではなく……


パクり……


ですよね……。

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後鳥羽院は、同時代の歌人の歌から積極的に学び、

常人にはとても考えられない速さで

和歌を上達させました。


その“積極的な学び”のなかには、

学びというよりパクりといったほうが適切か

と思われるものも散見されます。


これはその一例です。


……が、院自薦ではなく

撰者たちの推薦で『新古今集』に入集しているのは、

まったく、謎です……。


この間のコラム記事は


また「近き世のものがたりまとめ」として

まとめてゆきます。

こちらのマガジンもチェックしておいてくださいね。


それではまた次回。

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PS.


死ぬほど和歌記事があるので

「もう読む記事がない」となることはまずない

梶間和歌ブログはこちら。


年始のお休みのつれづれを紛らすものが欲しい、

という方はどうぞ、過去の記事もお楽しみくださいね。

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