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いにしへの和歌まとめ~永福門院恋歌~

「いにしへの和歌まとめ」2020年12月第2週

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。


今週は恋歌づくし。

『風雅和歌集』「恋五」入集の永福門院の恋歌ばかり

4首紹介しました。

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古典和歌を読む時は、詞書もセットで読みましょうね、

といつもアメブロのほうで言っています。


浅い知識で歌だけを読んでしまうと、

現代短歌を読む感覚で

その歌が作者の体験や実感である

と誤読してしまうからです。


詞書には

「これこれこういう事があった時に詠みました」

とか

「これこれの題で詠みました」

とかいうふうに、歌の詠まれた背景が書いてあります。


このうち「題で詠みました」というのは、現代短歌と異なり、

題ごとに設定が細かくなされていることがほとんどです。


例えば「初恋」とか「忍恋」とかの題は、

作中主体(歌の中の主人公)が100パーセント男性です。

決まっています。例外はありません。


それを現代短歌の感覚で

「式子内親王はこんな激しい、秘めたる恋をしたんだ……」

などと読んでしまっては、誤読も誤読。失礼です。


式子内親王という女性が

恋に落ちたばかりの男性や

恋してはいけない人に恋してしまった男性に成りきって

せつない恋の歌を詠んだのだ、

と読まなければいけません。


「約束事を覚えるなんてめんどくさい」

「文学鑑賞は自由でいいじゃない! 」

なんて態度で臨むくらいなら、和歌など読まないほうがマシです。


回れ右しましょう。

そういう方の人生に、和歌など不要です。

和歌のほうも、

そういうリスペクトのない方を読者に迎えたいとは望まないでしょう。

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そういうめんどくさいお勉強の部分は

私がブログで手助けします(全部調べろとは言わない)ので、


最低限のリスペクト少しの意欲たくさんの好奇心を持って

恋歌や四季の歌、さまざまな和歌に触れていただけましたら、

私としてはうれしいです^^


さて、永福門院という女性はどんな恋歌を残したのでしょう。

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12月7日 つねよりもあはれなりしを限りにて此の世ながらはげにさてぞかし


伏見院中宮、永福門院。


>「絶恋」の題意に即しながら人をも我をもきずつけぬ、こんなにも情のある真実な歌


とは、京極派和歌を学ぶうえで踏まえないわけにはゆかない

岩佐美代子氏の言葉。


「げにさてぞかし」なんて、ふと漏れたつぶやきのような言葉が

さらりと歌の形を取り、

それ以外ではありえないような輝きを歌のなかで放つ。


現代人には難しいですね。

私はそれをめざしているわけですが、

文語ネイティブでない以上、道は困難を極めます。

それでも、やるのですが。


12月8日 人のすてしあはれを独り身にとめてなげき残れるはてぞ悲しき


永福門院。


お世話になった方ではありますが、

現代短歌といえば……の大御所の某先生が著作中で

「新古今時代の歌人と違って

 永福門院の一生は穏やかだった」

という旨の見当違いの事を書いていた件など、

あれこれ書きました。


第二次世界大戦を生き延びた世代に喩えられる永福門院の

一生が、穏やかだったなんて。

お世話になった方とはいえ、看過できません。


12月9日 よそなりしその世に人はかへれども身はあらためぬ物をこそ思へ


永福門院。


上下句を逆接でつなぐ構造の歌は凡庸になりがち。

この歌も成功例とは言いにくいですが、

岩佐氏は評価していますね。


下の句は良いと思うけどなあ……一首全体としては、なあ……。


12月10日 月の夜半雲の夕もみな悲しその世にあはぬ時しなければ


永福門院。


これも、評価できません。

「悲し」なんて安易に言ってしまってはダメよ……。

(現代短歌でもね。

 和歌からでも何からでも、摂取できるものはすべて摂取しましょう)


京極派の特徴である「双貫句法」を説明するには

ちょうどよい歌である、というぐらいでしょうか。


永福門院の恋歌にはもっと優れたものがあります。

その例もこの歌の紹介ページから飛べますので、

ぜひ覗いてみてくださいね。


金曜から日曜にかけては、またコラム連載です。

そちらも日曜日以降にまとめますね。

まとめた記事はこちらのマガジンから見られます。


それではまた来週。

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PS.


死ぬほど和歌記事があるので

「もう読む記事がない」となることはまずない

梶間和歌ブログはこちら。


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