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感想&雑感『音楽が聴けなくなる日』著: 宮台 真司 , 永田 夏来 , かがり はるき

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで

 今回はこの本を題材にして色々書いてみたいと思います。

1.誰を向いた対応なのか?

 本書の第一章を担当した社会学者の永田夏来先生が指摘しています。

 アーティストやタレントの不祥事に対して所属先がCDをはじめとしたコンテンツの提供を取りやめるケースがあります。ここ最近で有名なのは電気グルーヴのピエール瀧さんが麻薬取締法違反で逮捕された際、当時マネジメント契約をしているソニーミュージックが電気グルーヴの全ての音源・映像を提供を停止したケースです。

 上記が、実際にホームページ上で公表となったプレスリリースです。永田先生はソニーミュージックの決断を事なかれ主義ではないか?と本書で指摘しています。ここで言う事なかれ主義とは何を根拠に据えてその決断をしたか?という事です。

 このような不祥事のリスクヘッジに対して、多くは株主対策をという側面か?はたまたコンプライアンスという側面なのか?という部分を根拠に挙げることがあります。コンプライアンスの側面については、三菱自動車のリコール隠しをはじめとした2000年代に起こった多くの不祥事が起因しています。

 永田先生はこの問いに対して再帰性という言葉を用いて解き明かしています。再帰性は本書によると、「人や集団・制度などが自らのありようを振り返り」「情報を参照しながら必要に応じてありようを修正していくこと」だそうです。このうち、自らのありようを振り返りという部分をイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズが提唱した「再帰的プロジェクトとしての自己」を用いて、ステークホルダーを気にすることが企業にとってのセルフモニタリングの役割になっていると説いています。

 コンテンツは本来それを愛するファンにとって適切なルートで提供される事が大切ではありますが、所属先の決断によるコンテンツの提供停止により、中古市場で高値となりそれが価値提供のロスに繋がってしまうという部分を鑑みたとき、コンテンツの提供停止が果たして誰を向いた謝罪という正義の下での決断なのか?は今一度考えてみたいところではあると思いました。

2.歴史は繰り返す?

 本書の第二章を担当した音楽研究科のかがりはるき氏の部分からです。第二章では、歴史という側面におけるアーティストの不祥事から自粛,そして復帰等のプロセスを追いかけたり、アーティストやレコード会社,そしてマネジメント会社(所属先)それぞれの立場の証言をまとめています。

 私自身、この第二章を読んでみてこのアーティストが過去に逮捕の経験があるんだという驚きがありました。特に尾崎豊や長渕剛,L'Arc〜en〜Cielの元メンバーが逮捕されたことがあるという部分には驚きました。

 そして、実際にかがり氏が取材した関係各所の証言を見ても共通のキーワードとして挙がっているのが、どこを向いての自粛なのか?という事でした。確かに、法治国家において法を犯すことは許されません。だけど、提供しているコンテンツそれぞれにはそれ相応の支持するファンがいます。社会が不祥事⇒自粛という図式で不祥事を犯したアーティストを寛容に受け止めるのではなく社会から抹殺しようとして、その第一歩として自粛という選択肢を選択することを余儀なくさせる内は、この風潮は変わらないのかな?と読んでみて思いました。




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