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雑感:(私見)死生観を考えるきっかけ

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで。

 どんな人間でも必ずどこかのタイミングであの世から迎えがきます。だけどそれは万人にあてはまるようパターン化されているものではなく、事故のように急に訪れる人もいれば病気療養の末というケースもあります。先日覗いたTwitterのspaceで、現役の看護師さんがホストをされていたspaceで終末期ケアをテーマにされていて、その中で死生観というキーワードが出ていました。今回は私見として死生観を考えるきっかけとしてこんなことをしてみると良いよということを提案してみたいと思います。

1.そもそも死生観って何?

 辞書で死生観という言葉を調べてみると次のように書いてあります。

生きることと死ぬことについて、判断や行為の基盤となる考え方。生と死に対する見方。

 文字通り、生きる事と死ぬことつまり生と死についての考え方です。冒頭で説明しましたspaceで死生観がキーワードとして、終末期の状態においてはいつあの世からお声がけがあっても不思議ではありませし、事故等の緊急性を背景として即座に家族が患者の生と死についてどうするか?どうしたら当人にとって幸せか?を判断する場面が急に迫ってきます。その判断は死についての考え方を共有すること即ち死生観を考える事が大切と仰っていました。だけど、日頃から死生観を考える事ってまず無いと思いますし宗教への信仰心が高くない(下図参照:「日本人の宗教的意識や行動は どう変わったか」)傾向において、死を考える事はほとんど無いと思います。

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2.私見:YouTubeに挙がっている有名人の葬式関連・訃報に伴う特番関連の動画を見る

 そこで私が提案したいのが、死生観を考えるきっかけとしてYouTubeに挙がっている有名人の葬式関連・訃報に伴う特番関連の動画を見るということです。

 恐らく記憶に新しいのが一昨年新型コロナウイルスに関連した肺炎で亡くなったコメディアンの志村けんさんの追悼番組がYouTubeに挙がっていました。メディアを介してではありますが、お元気だった有名人の方でもふとしたひょうしで亡くなる事があるんだという事が分かります。他には...

 上記動画はごく一部ですが、こうして並べてみても一時代を彩った有名人でもいつかは亡くなります。それを想うと死というのは誰にでもあり得るんだなというのが肌身で分かります。

3.終わりに

 社会学の考え方の1つに家族を機械的・契約的な側面から捉える考え方があり(参照:『社会学講義』pp181~182)、昔ながらの伝統や強固なつながりから連綿と家族という単位を紡いでいくのが難しい昨今においては、家族で死生観を共有するのが難しいのであればまずは自分の死生観を考えることから初めてみるのがいいかもしれません。そのきっかけとして、今回提案しました死生観を考えるきっかけとしていかがでしょうか?。

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