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夏の到来は何で知る?

夏の到来は何で知る?
 
和歌において晩春を彩るものは、藤・山吹(やや少ないですが躑躅も)です。今、神奈川では藤と躑躅が見頃を迎えています。
 
春が終わると夏が来ます。
 
春すぎて夏来たるらし白妙の衣干すてふ天の香具山(百人一首・持統天皇)
 
日本の和歌において、季節の到来は何をもって知るとされているのでしょう。「されている」はちょっともって回った言い方ですが、季節の到来は天がもたらす「自然」なものと、人間が定める「人為」的なもの(暦など)があります。和歌においては、その両者が混在しています。
 
勅撰和歌集(まずは八代集)における巻頭歌(ほぼ季節の到来と言ってもよい)は、
 
春―霞(古今「年内立春」・後撰以外) 夏―更衣(古今のみ「ほととぎす」) 秋―風 冬―時雨
 
が基本です。天、地(人)、風、水という、すべて宇宙の構成要素とも言うべき重要な素材です。
 
さて、夏の到来に焦点を絞ります。
万葉集と古今集における夏の到来は、「ほととぎす」です。
しかし、後撰集以降の夏の巻頭歌(到来)は、「更衣」(ころもがえ)が圧倒します。上記引用した持統天皇の「春すぎて」の歌も、更衣の歌として『新古今集』夏部の巻頭として置かれているのです(原歌は万葉集)。
 
春、秋、冬が自然の景物によって季節の到来が知られるのですが、夏だけは人間の営みによってその到来を知るのです。

持統天皇の和歌の「衣干す」は古来議論の的となってきました。
 色々謎の多い歌です。そもそも原歌(万葉集)の「衣乾有」の訓じたいが、なかなか難しい。万葉集伝本の訓も多様で、俊成と定家親子で、異なる訓み方をしていたようです。万葉の原歌としては、「ころもかわけり」という訓の可能性も否定できません。
 
この歌も含めて、和歌における季節の到来について、五月に本学(山手)で開催される学会でお話しさせていただく予定です。所属していない学会なので、ちょっと緊張していますが、お教えいただくつもりで、いくつかの私見を述べたいと思います。素敵な企画も用意されているとのこと。どうぞよろしくお願いいたします。 
 

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