なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#2

若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧ありがとうございます!

#1からの続きです。

両親は鉄鋼業を営んでおり、小さな町工場をやっていました。

産まれてすぐに、水頭症の疑いが有り長い入院生活をしていたそうです。

鮮明には覚えていないのですが、いつも古い病院のベット上、汚れた天井が見えていて、

夜は怖く、寂しい日々を送っていたというのが記憶に有ります。


私の幼稚園の頃の遊び場といえば、父の仕事場の工場で、クレーンを使ってブランコをしたり、鉄の廃材を父に貰っては工場内の機械を使って剣を作ったり、

何かよくわからかい物を作ったり、リフトやトラックを勝手に動かしたり、とにかく危ない事ばかりをやっていました。

父はずっと仕事をして、時間が有ると釣り、もしくは寝ている。

母は家事と内職の仕事をしていたので、1人で過ごす事も多かったです。

兄弟は姉が居るのですが、8こ離れている事と異性なので、遊ぶと言っても姉のストレス発散にいじめられるという事しかされません。

当時は姉の事が嫌い?
いや、とにかく怖い存在でした。

姉には近付くと泣かされるので避けていて、いつも近くの親戚の家に行き、父方の親戚の兄弟か、母方の親戚の兄ちゃん2人に遊んでもらっていました。

祖父は父母方共にすでに他界しており、父方の祖母との5人暮らし。祖父が立てた、昔からある古い家、古くからある地域に住んでいました。

そして父方の祖母は私を大事にしてくていたのですが、何だか苦手で、母方の祖母はとても可愛がってくれたので大好きでした。


暇な時は、父の趣味の釣り道具を引っ張り出してきては壊す。またお隣のお家も工場でしたので、忍びこんでは探索をする。

幼少期の私は、とにかく人見知りでしたので、人と顔を合わせない様に、いつも人に見つからない所を探している様な子供でした。

九九は幼いから、母がいつも問題を出してきて、答えが合っていると褒められたので頑張って覚えました。

私が通っていた幼稚園は、習い事に力を入れていたので、習い事は色々とやらされました。

剣道や習字などやっていたと思います。

小学生に入学してからは、基本、姉が習っている事を一緒に、ピアノやソロバンなどにも行かされていましたが、

いかにサボるかばかりを考え、何一つ身になりません。

小学生になって、だんだん友達ができ遊ぶ様になり、毎日、誰かの家に遊びに行っては暗くなるまで家に帰らなかったです。

小学生の同級生の家には、ほぼ全員の家に遊びに行った事があります。

低学年の頃は、先生から出された宿題は一生懸命やっていたのですが、

とある時、先生の話を聞き間違え、宿題で出されていた計算ドリルを、習っていない所までやらなければならないと勘違いを起こし、泣きながら宿題をやった事があります。

それ以降、宿題と勉強いう物を一切やらなくなってしまいました。

勉強をやりたくないのであれば、せめて運動をとでも両親は思ったのでしょうね。

そして3年生ぐらいになる頃、水泳と少年野球をやらされました。

しかし、この野球に関わった事が、その後の私の人生に大きく影響を与える一つになりました。

次回に続きます。

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