なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#3
若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧ありがとうございます!
#2からの続きです。
少年野球に関わった事で、その後の人生が大きく変わりました。
先にお伝えしておきますが、けっして良い話ではありません。
とにかく運動が苦手でしたから、ボールは遠くまで投げられない、バットを振ってもボールに当たらない、早く走れない、才能なんて一欠片もありませんでした。
仲良しくしている友達たちが、ほとんどその少年野球に入っていたので行っていただけです。
監督が気を遣って、試合の途中で代打で使ってくれたりしました。
でもバントを失敗したら、思いっきり監督から蹴られて後ろに吹き飛び、地面に並べてあったバットに尾てい骨をぶつけ、
真っ直ぐ立っていられないぐらい痛い状態だったのですが、真っ直ぐ立っていないとフルスイングのビンタが飛んできます。
やっとの思いでバットにボールを当てて、死ぬ気で走ってヘッドスライディングをしてもアウト。
相手チームの子供達からは、なんでアウト確実の状況でヘッドスライディングなんてするんだと笑われました。
失敗が許されない、失敗をすると痛い目に遭う。
頼むから出番が来ません様に・・・、試合が有る日は四六時中そう考えていました。
練習は週に5日間、常にプレッシャーに耐え続け、野球が有る日は必ずお腹が痛くなる。
行きたくないと母に訴え続けましたが、頑張りなさい、必ずあなたの為になるからやり続けなさい。としか言われず、本当に嫌々野球をやっていました。
そんなさなか、特に何も取り柄がない私でしたが、いきなり副キャプテンにされました。
思い出してみると、監督からではなく、たしかコーチの方から推薦され、やりたくなかったでしたがやる事になったのです。
試合ではレギュラーでもなく、ランナーコーチ。なのに副キャプテン、屈辱以外の何物でもありません。
何か役割を与えないと、こいつは辞めてしまうだろう、辞められない状況を作っておこうとでも考えたのだろうと当時は思っていました。
今思うと、声だけは出そうと必死でやっていたので、声がよく通ったのでランナーコーチ。
やれる事を全力でやるという責任感、仲間を大切にするという信頼感から、コーチは副キャプテンに推薦したのかもしれません。
そんな事は、言ってくれなければ当時の私にはわかりませんでした。これを書いていて今気付きました。
次回に続きます。
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