なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#8
若返り鍼灸師の山田和宏です。
ブログのご観覧をいただきありがとうございます!
小学生で激太りし、人生で初めてダイエットを決意。
#7の続きです。
私は両親が自営業を営んでおり、姉も歳が離れていて、それぞれで生活の時間が異なっていたので、幼い頃から1人で過ごす事が多く、
食事も一人でする事が多かったです。
こんな事を言ってはいけないのですが、母は味音痴で、ご飯を作ってくれても本当に不味かったのです。
小学校の1年生から、給食の無い土日は、母が買ってきてくれたスーパーのお惣菜かカップラーメンかレトルトカレー、
買い置きが無い場合は、1000円を握りしめて1人で、いつも近くのラーメン屋さんに食べに行っていました。
当時は、近くに吉野家やハンバーガーチェーンなどのファストフード店が近くになく、コンビニも有りませんでしたので、移動も全て自転車ですから行ける距離が限られていましたしね。
食べる事には困る事はありませんでしたが、寂しい幼少期を過ごしていました。
時代は昭和が終わり平成に変わった辺り。
週休2日制が社会実験で始まり、隔週で土曜日が休みになったころ。
バブルも弾けて時間が経過し、ドンドンと経済が下降していっている最中。
家の近くにコンビニができたのは、ちょうど私が手を怪我して野球を辞めた後ぐらい、小学校の高学年ぐらいになった時です。
低学年や中学年の時は、お菓子を買えるお店も自転車で15分は走った所にしかなかったのですが、自転車で3分で行ける所にコンビニができたので、
いつもの母から貰っていた1000円で、コンビニで売られている物だったら、好きなものを自分で選んで買える。
サインドイッチ、菓子パン、
オニギリ、お弁当、
ジュース、アイスクリーム、お菓子など、
1000円あれば、かなりの量が買えたのです。
当時は、添加物などという言葉は知らず、美味しそうな物は片っ端しから買って、美味しい物を探していました。
これがデブになってしまった原因だったと気付いたのは、それから20年も時間が経過してからですから、今考えてみると恐ろしい幼少期を過ごしていたなとゾッとします。
昔から体は弱かった方なのですが、この小学生の高学年辺りから、頭痛や喉の痛みなど、風邪様症状を月に1回は感じる様になり、
家にあった置き薬の、パブロンやブァファリン、正露丸をよく飲んでいたなという事を思い出します。
そんな小学校生活をしていた僕が、
卒業アルバムに映っている自分の写真を見て、醜くなってしまった自分に気付きました。
このままでは、中学生になってもモテない!
青い春を謳歌するため、何の知識もなく、11歳からダイエットを始めました。
思えばこの頃から、あらゆるダイエット方法を自らの体で実験していたのですね。
果たしてどんな事をやったのか、次回に続きます。