苦いチーズケーキ
どっしりと重そうなビジュアル。
まるこげで苦そうなたたずまい。
それなのにとんでもなく魅力的で美味しそう。
「バスクチーズケーキ」という名前でたちまち市民権を得たそのケーキを、はじめて知ったのはとある雑誌の表紙でのことだった。
どうやらチーズケーキなのに、お酒と合わせて楽しんだりするらしい。しかもスペインじゃ、バルなんかで食べるんだって?
取材で訪れた札幌のお菓子研究家の方へお話を伺った際に聞かされるのは、想像以上に奥深いバスクチーズケーキのお話だった。
驚きなのは本家のスペインにある「ラ・ビーニャ」というお店が、完全にレシピを無料で公開しているということだ。
材料は至ってシンプル。たっぷりのクリームチーズと卵、砂糖、生クリームと、ほんの少しの小麦粉。小麦粉が少ないから、焼き菓子独特のパサつく感じはほとんどなくて、口当たりは至ってなめらか。
表面のコゲ(にしか見えない)部分が、まるでキャラメルのように香ばしく、まったりとほろ苦いソースの役割をなしているのだと言う。考えてみたらキャラメルって砂糖を焦がしただけのものだ。でもそのシンプルさゆえ、作り手の個性が丸ごと出てしまうのだろう。
チーズケーキといえば、小学校低学年の頃から作り続けているレシピがある。同級生のお母さんが教えてくれたもので、以下の通り。
・クリームチーズ 1箱
・砂糖 100g
・卵 3個
・塩 ひとつまみ
・生クリーム 200cc
・薄力粉 大さじ3
これらをすべてを順番に混ぜ合わせ、170℃のオーブンで40分ほど焼くだけという、家庭向けのレシピ。
私は失敗のしようもないこのチーズケーキをとにかくたくさん焼いた。母が「美味しい」と言ってくれたから、うれしくなってさらに焼き続けた。ちょっとした塩加減でも結構味が変わることもわかった。だから次はもっと美味しくできるようにいろいろ試行錯誤を続けた。
「ワカコといえばチーズケーキ」
と、誰が言ったのか忘れたけれど、そんな言葉も囁かれるほど得意になっていたある日、八つ年上で高校生だった姉が母と私に向かってこう言った。
「学校の近くの雑貨屋さんの奥にね、カフェがあって。そこのチーズケーキがものすっごく美味しいの!」
「へえ」と、母。
「ワカコが作ったやつなんかより、ずーっと美味しいんだから。」
小憎たらしい笑みを浮かべてチラリとこちらに目をやる。
…これは聞き捨てならない。
私がこんなに研究しているチーズケーキより美味しいなんて本当にあり得るのか? そんなものがあるなら食べたいし、それにそんなことを簡単に言われてはプライドが許さない。
今にして思えば、たかだか小学生の作るお菓子のクオリティがそこまでのものなんて全然思わないのだけど、当時の私にとっては大問題だった。それより、心の奥にチクリとトゲが刺さったように痛い。泣きたいような気持ちをこらえて、ワナワナとして立ちつくす私。
察した母が「今度食べに行ってみようか?」と誘ってくれて、その店を訪れたのはしばらく経ってからのこと。
一歩足を踏み入れたそのお店は輸入雑貨などを扱うお店で、北欧の木のおもちゃやキッチン用品など、田舎町にしては垢抜けたインテリアを揃えていた。奥に小さな喫茶スペースがあり、話題のケーキはそこで提供されていた。いらっしゃいませ、と笑顔を向ける感じのよい中年女性が、海外のレシピを参考に作っているらしかった。
早速注文し、目の前に現れたチーズケーキは私の知らないものだった。
薄いレモンイエローの表面、見るからになめらかそうな切り口の白い肌。しっとりとしたパイ生地の上にチーズ風味のフィリングが乗ったそれは、アメリカンチーズパイと呼ばれるものだった。
三角の先っぽにフォークを刺してひと口食べる。
鼻に抜けるレモンの香りと、まるでそよ風のように爽やかな酸味。パイ生地は軽い塩気を感じ、ものすごく濃厚なのに飽きる感じがしない。自分が作ってきたものとは似ても似つかないチーズケーキであった。
初めての衝撃的な出会いに、眉間にシワを寄せながらもぐもぐしていると母が
「美味しいね。でも、お母さんはワカコの作ったケーキの方が好きかなぁ」
などと呑気につぶやく。
もしかしたら母は本当にそう思ったのかも知れない。でもそのときの私には、母が自分に気を使っているような気がして、どうしようもなく悔しかったのを覚えている。
それからというもの、さらにお菓子作りへの熱を上げていった。砂糖をたっぷりまぶしたケーキドーナツだったり、手の込んだ折パイだったり。ふかふかのシフォンケーキだったり、あの小説で読んだスミレのケーキだったり。素朴で豪快な味が好きな、家族みんなが好みそうなものを中心に作った。
今でこそインターネットで調べていろいろなお菓子を簡単に作れるものだが、当時は図書館でレシピ本を探すか本屋で買うしか方法がなく、たいそうな出費をして様々な本を買った。自分のお小遣いも使ったけれど、たまに行く大型書店では親にもたくさん買わせてしまった。どれも今ではいい思い出だ。
この後も私のお菓子をことごとく貶し続けた姉は若くして結婚し、私には姪と甥ができた。その子たちが小学生になった夏休みに、こんなことを言ったのだ。
「ワカちゃんはなんでもお菓子を作れるから、ワカちゃんに作り方を聞いてみなさいって、お母さんが。ねえ、今度一緒に作ろう?」なんて無邪気に楽しそうだ。
想像もしなかったその言葉に面食らいながら、よく考えてみる。
そうか、別に姉は私のお菓子が嫌いだったのではなかったのか。あれは周りにチヤホヤされる年の離れた妹に対する、単なる嫉妬心だったのだ。
小学生の私にすれば随分と大人に感じていた姉の子どもじみた気持ちに気付くのは、胸を刺すトゲの痛みも癒えた、ずっと後になってからのことである。
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