「アイドルになりたくて…」

 子供の頃の夢はズバリ「アイドル」。綺麗な衣装を着て、人前で歌って、声援を受け、同年代の男性アイドルとコントでイチャイチャし、時々水大会で水着姿を披露する。皆にチヤホヤされ、脚光を浴び、毎日が楽しくて仕方ないであろうその存在に果てしなく憧れた。本当はアイドル達の笑顔の裏に隠された血のにじむ苦労などあるのだろうが、片田舎に住む女児には知る術もなく想像もしない。

 私の小学生時代花のアイドル全盛期だった。今の大人数化したものはなく、女性アイドルはほぼソロ。時々3人組がデビューしたりするが、魅力が分散されるのかもともと3人合わせてようやく一人分の魅力に達するのかわからないが、売れ行きは今ひとつの傾向だった。解散後にソロになって売れたりするのを見ると、「最初からソロでだせばもっと早く売れたのに」などと生意気にも事務所の先見の目を疑ったりしたものだ。何しろ当時は特に女性のソロアイドルがたくさんいたのだ。アイドルが大量に集合する運動会や水泳大会はまるで自分が出場するかのような心構えで視聴し、特に競泳自由形などの場面では息切れを覚えた。

 当時10歳の田舎に住むどんくさい小娘の私は、分不相応にもそんなキラキラしたアイドルになりたいと密かに思っていた。というより渇望していた。なりたくてなりたくて仕方なかった。多くのタレントを発掘し、世に送り出した番組「スター誕生」が終わってしまっていたことにも悔しさが溢れた。あれなら親にもバレることなく応募ハガキをこっそり出せたのに! 恥ずかしすぎて誰にも相談できない浅知恵の田舎娘は、仕方ないのでアイドルになる計画を一人で練った。

 アイドルは東京にいる。とりあえず東京に行けばチャンスが……。そう考えた。そうだ、東京に行ってスカウトされよう! 確か高校二年の修学旅行で東京に行くはず。原宿とかいうナウい街で誰かスカウトされたという話も聞きかじったことがある。よし、修学旅行で原宿に行ってスカウトされればいいのだ。勘違い甚だしく、そのワンチャンスをモノに出来ると考えた完全に浅はかな計画。

 さらにイモ小学生はもう一案アイドルへの近道考えた。進学して東京の大学に行くことだ。東京の大学に行けばチャンスは無限大! 当時、薬師丸ひろ子が現役女子大生女優だった。女優や歌手をやりながら大学にも通っているという、堀越学園卒の他のアイドルとは違う、少々インテリな部分が私の心をくすぐっていた。無知で田舎モノの私は東京の大学といえば東大しか思いつかなかった。東大が日本一頭の良い人が行く学校だということくらいは知っていた。というかアイドルになる前にそれ以上に困難な東大受験という壁を乗り越えるつもりだったのか? まだ高校受験という15の壁すら超えていないというのに、すでに東大合格という大問題にぶつかった。とりあえず、どんな手段を使ってもとりあえず東京に行けばチャンスは格段に広がると思い込んで疑わなかった。

 とにかく東京に行けばどうにかなる、と安易に考えていた無垢な小学生な私。東京に行く手段ばかりに気を取られ、一人暮らしになったら一人で背中を洗えないことを気に病んだり、光熱費などはどのように支払えばいいのかと気をもんでみたり、米の炊き方をせっせと母親に聞くなどアイドル要素とはまるで関係のないどうでもいい事ばかりに悩み、肝心な己の容姿や歌唱力などについてはまるで心配していなかった。小学生の私はとりわけ美少女といわれるタイプでもなく、年中日に焼けて真っ黒でくせ毛で小太りだった。それで東京に行きさえすればアイドルとしての華々しい人生が待っているなど、とんでもない身の程知らずだ。それからも私のアイドルになりたいという渇望は数年間続いたが、中学に入ってから憧れの先輩にお熱をあげる、などのイケてないティーンズならではの行為が断然楽しくなり、アイドルになるという夢は私の夢中なものリストから外れていった。小学校の卒業文集に小さく「歌手になりたい」と将来の夢を刻んだのがせめてものアイドル願望を主張できた場所だった。

 それからは恋してはフラれ、フラれては恋する、を延々と繰り返し、酸いも甘いも噛み分けたつもりの約20年が経過したある時、この「アイドルになる」という厚かましい昔の夢が少しだけ叶ったといえないこともない出来事が起こった。当時私は当然社会人になっており、地元のテレビ局に契約社員として籍を置かせてもらっていた。そこでネットショッピングのサイト運営を任されていた。ある日、そのサイトで販売している北海道産品をパブリシティ番組で毎日一商品ずつ紹介するということが決まった。その紹介する役のお鉢がなんと私に回って来たのだ! 番組だからもちろんテレビに出るのだ。当時既にアラサーだった私は相変わらず太っていた。現在よりプラス10キロで人生最重量。メイクらしいメイクもあまりしておらず、タレントでもアナウンサーでもないこんなただ太いだけの私をテレビに映すなんて、放送事故同然なのではないかとびびった。お茶の間からどんな反感を買うだろう、声もかわいくないし、滑舌も悪いから「何いってんだ、このメス豚は」と思われるのでは……不安ばかり。この時になってようやく自分がメディア素材ではないことをはっきりと突きつけられ、昔アイドルを目指したことを初めて恥じた。

 しかし収録はもう始まるのだ。翌週からは放送される。服は自前だから月〜金曜日までの放送分を一気に収録するから5日分用意しなくてはならない。デブにはしゃれた手持ちの服などほとんどなく、とりあえず体が入る安服のオンパレード。これにも毎週悩まされた。しかし、姉からゆったりめの服を借りたり、自前の安服の中でもテレビに映えそうな発色のよいモノをひっつかんでは、毎週火曜日の収録に臨んだ。メイクはヘアメイクさんにやってもらえたので首から上はそれなりになった。しかし、隣に立つアナウンサーの1.5倍くらいの体を画面に収め、滑舌の悪いアルトボイスがコチャコチャと海の幸などを紹介する。いくらメイクで首から上をごまかしたところで演者としての私のクオリティまであげてはくれない。それにモニターで自分の顔を見て、左右の非対称さがひどいことに気がつき収録に集中できなくなった。色々な緊張と感情が織り混ざり、毎週の収録の日はとてもストレスだった。少しはダイエットをするなどして、画面に耐えられるくらいの自分になる努力をすればいいものを、堕落した当時の私はそれもしなかった。前日飲みすぎて酒焼けの声で収録に臨んだこともあった。

 しかしある時そのストレスが快感に変わる出来事が起こった。風邪をひいて近所の病院に行ったときのことだ。そこのおばさん看護師が私の顔を見るなり言ったのだ。

「あなた! テレビに出てるでしょ!?」

 !? え!? あの午前中のたった10分のパブリシティ番組でこの私をチェックしている視聴者などいたのか!? おじいちゃんの医者とおばさんの看護師一人という小さな個人病院。騒ぐ看護師につられておじいちゃん医師も、なに!? タレントがうちの病院にきたのか!? くらいの勢いで興奮している。「すごいねー! 花形だねー!」などと言いながら内診してくる。正直、悪い気分ではなかった。そうか、こんなんでも会えて喜んでくれる人がいるものなのか、と。

 それから意識は変わった。まず服を買いに街へ出かけた。髪も染め直した。収録の前の日は飲まないようにした。劇的に痩せたりはしなかったが、多少なりともタレント気分を噛みしめていた。そして昔夢見た「アイドル」にこの年齢になって少し近づけたのではないか、とすら感じ時々視聴者から「あの下手くそ女はプロなのか!?」などといったクレームが番組に届いたりしながらも、めげることなく収録の日をほくほくした気分で迎えるようになった。ウチの親も親で、娘がタレントにでもなったかのように浮かれ、片田舎の地元のサウナで触れ回っていた。

 そんな感じで一向に痩せることだけはないが、この私がテレビに出る日々は過ぎていった。それがある日を境に大人の事情で私がやってきた役は本物のモデルに変わった。モデルに変わった番組を視聴者として見た時、前の日までその場所に立っていた女との顔の大きさの違いに驚かされた。テレビ画面に対して、そこに映るモデルの顔をそれまで映し出されていた自分の顔のスペースを想定して見ていたからだ。ここでアイドルにはやはりほど遠かったんだ、と改めて自覚せざるをえなかった。モデルの子はかわいい。声もかわしいし小顔だ。あれからもう10年近く経った。もうとっくにアイドルの夢は当然ない。しかし、私がレギュラー番組に出演したあの短い期間は、幼い頃みた「アイドル」の夢に一歩近づけた立派な事実であり、人生の大切な宝物なのだ。VHSでしか記録がなく、容易に証拠をお見せできないのがひどく残念だ。

#アイドル
#子どもの頃の夢

※せっかく書いたのですが、見合うコンテストが見つからないのでここに掲載します。

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