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哺乳類の進化6‐書籍紹介「哺乳類前史: 起源と進化をめぐる語られざる物語(エルサ・パンチローリ)」

著者のエルサ・パンチローリ氏はイギリスの若手古生物学者である。名前にパンチがきいているので、はじめ男性だと思っていたが、本を読んでいくと途中で女性であることがわかる。現在、オックスフォード大学のリサーチフェローなので、いわゆるポスドクということで、本来ならどんどん研究成果=論文を出すことに集中して、パーマネントの職を得ることを目指す時期だと思われるが、こんな大著の本をよく書けたものだと驚いた。5カ月の執筆休暇を取ったという。さらに、次の本もすでに出版したという(日本語訳は未刊)。イギリスというところは、リチャード・ドーキンスのような科学啓蒙家が高く評価される国だから、パンチローリ氏のようなキャリアの築き方が許容されるのかもしれない。

さて、本書の内容に入る。時代を切り拓いてきた過去の古生物学者の発見ストーリーや、自らの研究のための発掘旅行の話が多い。しかし、本題はこれまでの常識的な哺乳類進化史観に異をとなえることである。哺乳類は、恐竜がいた中生代には目立たないようにひそやかに暮らし、恐竜が絶滅したのちの新生代になってようやく勢力を拡大したと考えられてきた。しかし、パンチローリ氏によれば、哺乳類の前身は、早くも古生代に誕生して一時代を築き、中生代にも適応拡散して一定の進化的成功をおさめていたことを示している。つまり、哺乳類の歴史はかなり古く、進化的実験を繰り返してきたのである。では、章ごとに、ポイントをピックアップしていきたい。

【序章】
・絶滅生物の科学(ここでは古生物学を中心として)は劇的な変容を示している。ビッグデータを解析する統計的手法と、化石のCTスキャンの普及により、まったく新しい研究分野が拓かれた。古生物学の多様性のバランスは、まだかなり白人と西洋に偏っているが、常識を覆す画期的発見の中心地は、ヨーロッパや北米から、中国、アフリカ、南米に移りつつある。こうした国々では、標本を外国の博物館に持ち去る旧弊が改められ、現地研究者たちが自国の遺産として化石を研究している。

【第1章 霧とラグーンの島】
(内容省略)

【第2章 カモノハシは原始的じゃない】
・単孔類には、ほかの哺乳類の分類群で起こったような変化を経ていない、初期の哺乳類そのままの特徴が備わっている。それでも、かれらは「高度に派生的な」グループであり、系統樹の根元にいる共通祖先から遠く離れている。例えば、カモノハシの名前の由来である「カモのくちばし」に似た吻は、完全にかれら独自の食料探知デバイスであり、哺乳類の歴史全体を通じて、ほかには一度も進化したことがない形質だ。

・カモノハシの吻には、4万個以上の機械受容器と電気受容器が分布している。一方、ハリモグラの吻にも電気受容器と機械受容器があるが、カモノハシと違って、鋭い聴覚と嗅覚も使って食料を探す。

【第3章 頭にあいた穴ひとつ】
・古生代の石炭紀に、魚類が陸上に上がって四肢形類となる。四肢形類のプロトタイプは、無羊膜類と呼ばれ、水に頼って繁殖する。いまも両生類として生き残っている。そこから分かれた、有羊膜類は、水への依存から脱し、完全な陸上生活に踏み出した。約3億年前、有羊膜類は、単弓類(頭にある穴が一つ)と竜弓類(多くは頭にある穴が二つの双弓類)という2大系統に分かれた。単弓類は哺乳類に加え、さまざまな絶滅動物たちが含まれる。一方、竜弓類は、爬虫類と、爬虫類の一種である恐竜の子孫である鳥を含む。

【第4章 最初の哺乳類時代】
・古生代のペルム紀には、単弓類が拡散して盤竜類が出現した。骨盤トカゲを意味するが、爬虫類ではない。背中に帆柱が並ぶディメトロドンがよく知られている。

・植物食は陸生動物のなかで複数回独立に進化したが、植物食に特化した適応としてもっとも古いもののひとつを石炭紀後期からペルム紀前期にかけての単弓類(盤竜類)に見出すことができる。植物食者は微生物の協力が必要である。共生細菌をどのように獲得したかは不明であるが、初期四肢動物が腐敗した植物質、あるいは植物食の昆虫を食べたときに取り込まれたのではないかと考えられている。やがて植物分解細菌の一部が消化管の中で生存し、宿主との共生関係が発達した。

【第5章 血気盛んなハンターたち】
・ペルム紀に、盤竜類の中から獣弓類が出現した。かれらは、温血性、代謝の高いライフスタイル、もしかしたら体毛、犬歯・切歯(前歯)・奥歯の形状が異なる異歯性、といった哺乳類と結びつける主要形質の数々を獲得した。また、盤竜類の中でもディメトロドンの仲間から、獣弓類が生じたらしい。

・獣弓類は、ペルム紀最大のイノベーターであり、狩りや消化、闘争や木登りや穴掘りといった適応を進化させた。その獣弓類の中ではかなり地味な、ゴルゴノプス類や、それに似た雑食性・植物食性のグループであるテロケファルス類に近縁の種類がわたしたちの系統を生み出した。ペルム紀の最終盤に現れた、大部分はかなり小型でぱっとしない種類がキノドン類であり、現生哺乳類の祖先である。

【第6章 大災害】
・ペルム紀末に、シベリアで大規模な洪水のような噴火が起きた。噴出した溶岩の量は、仮に中国の上に重ねると300メートルの厚みに達するという。これによる大気ガスと気候の変動により、史上最大の大量絶滅が起き、海生生物の81%、陸生生物の75%が消し去られた。獣弓類も深刻なダメージを受けた。

・中生代の三畳紀に入ると、多様な爬虫類が、ニッチ空間の再獲得をめぐる競争で獣弓類に勝利した。

【第7章 乳歯】
・キノドン類はペルム紀後期に出現し、大量絶滅をくぐり抜けた。イヌに似た比較的小型の動物だったかれらは、頭骨の側頭窓が広がり、頬骨の幅と奥行きが増した。頭頂には骨でできたモヒカンヘアのような矢状稜が形成された。こうした特徴は、顎の筋肉の大きさと配置の変化を反映していて、かれらの嚙む動作がますます正確になったことを裏づけている。

・三畳紀の哺乳類の系統はとても小さかった。現代の動物学研究では、ふつう体重5キログラム未満の動物が「小型」と定義され、これはキツネより小さい。三畳紀後期、哺乳類の系統はこの閾値をはるかに下回るサイズに縮小し、体重が数百グラムを超える種は存在しなかった。

・哺乳類は、高い代謝と体温を獲得した。これらの特徴のおかげで、かれらは三畳紀後期に小型化を実現しただけでなく、夜行性にもなった。夜の冷え込みは、体内に熱生成システムをもつ動物にとっては問題ではなかった。わたしたちの眼には、2種類の主要な光受容細胞がある。ひとつめの錐体は、光への感受性はより低いが、解像度が高く、日中の視覚に適している。もうひとつの桿体は、より光への感受性が高いものの、代わりに解像度では劣る。こちらは光量の少ない状況でより役に立つ。現生哺乳類は、視細胞の大半が桿体であり、錐体は比較的少ない。歩かの脊椎動物は4種類の錐体をもつのに対して、哺乳類には2種類しかなく、色盲である。このことは、哺乳類の夜行性の過去を裏づける証拠だ。霊長類は、すぐれた色覚を再獲得した数少ない哺乳類である。

・哺乳類の耳にはほかの四肢動物にはない骨がある。中耳の槌骨とキヌタ骨である。これらはアブミ骨と強調してはたらき、音を増幅し、可聴周波数の幅を広げる役割を果たしている。化石記録から、これらの骨はもともと下顎の一部だったことが判明している。ひとつは関節骨で、かつてキノドン類の祖先の顎関節の一部を構成し、哺乳類の進化の歴史のなかで、これらの骨は縮小し、やがて中耳の内部に統合された。

・現在の哺乳類約5500種のうち、90%は小型種で、齧歯類がその大半を占める。現生哺乳類の体重の中央値は1キログラムに満たない。小さくこそこそするのは、進化的に見れば降格などではなく、生き抜くための冴えたやり方だ。

【第8章 デジタルな骨】
・頭骨のてっぺんの頭頂孔という小さな穴は光量を感知する機能をもち、四肢動物の共通祖先から受け継がれ、ほとんどの爬虫類と両生類には存在し、単弓類でも長く維持されてきた。しかし、哺乳類系統で頭頂孔は消失した。これは、胚発生中のある遺伝子のはたらきと関係がある。Msx2と呼ばれる遺伝子であるが、その遺伝子に変異を持つマウスの頭骨には、祖先において頭頂孔があったのとまったく同じ位置に孔ができる。さらに、毛包の維持に支障をきたし、乳腺の発達も阻害される。頭頂孔、毛包、乳腺という3つの形質が、ひとつの遺伝子と結びついている。ここから、三畳紀中期にキノドン類のMsx2遺伝子に生じた変異が、哺乳類を定義するこれらの特徴の発達に関与した可能性が浮かび上がる。

【第9章 中国初の大発見】
・クレードとは、ひとつの共通祖先をもつ生物のグループをさす。哺乳綱というクレードには、有胎盤類、有袋類、単孔類と、約1億6000万年前に存在した共通祖先よりあとに現れた、絶滅したこれらの親戚すべてが含まれる。かれらは「真の」哺乳類だ。ドコドン類などの最初期の哺乳類は、哺乳綱の共通祖先よりも前の時代に系統樹から分岐した側枝であり、より大きな多様性を内包するカテゴリーである哺乳形類に属する。

・モグラ的な特徴(指の骨数や指の本数の減少など)は、比較的最近になって生じた特殊化だと考えられてきた。私たちはモグラを、哺乳類のその他の高度な特殊化(樹上生活、水中生活、滑空、動力飛行など)と同様に、「哺乳類の時代」(新生代)以降の発明とみなしてきた。そこに、ジュラ紀のモグラ、ドコソフォルが発見された。小さなショベル型の手では、指骨が3つから2つに減っていた。このことは、高度に特殊化したモグラ的適応が中生代にあったことや、胚発生の過程ではたらく遺伝的変異の時代を越えた存在を示唆するものであった。

・中生代哺乳類の研究者は生態を重視するようになった。化石からこのテーマを探求するおもな方法のひとつに、生体形態学(エコモーフォロジー)がある。習性がどのように身体的特徴をつくりあげるか、あるいは形態と機能の関係を調べるやり方だ。その分析手法は大きく様変わりした。かつては、測定と比較に多大な労力を費やしたが、いまではプログラミングと自動化により、こうしたプロセスに統計的な厳密さをもたらすようになった。

・キノドン類は、下顎そのものの振動を通じて音を感じ、アブミ骨を介して蝸牛にシグナルを送っていた。それを下顎中耳(MMEC)という。現生哺乳類の耳(DMME)では、この下顎の骨が耳の中に収まったのだが、その過程には謎がある。初期の単孔類であるステロポドンは、DMMEを持っていなかったが、子孫である現生の単孔類はDMMEをもっている。また、初期の獣類(単孔類以外の哺乳類)もDMMEをもっていなかったが、多丘歯類と呼ばれる、獣類の近縁の齧歯類に似た動物たちは、獣類よりも前に哺乳類の系統樹から分岐したにもかかわらず、DMMEを備えていた。後獣類(有袋類)と真獣類(有胎盤類)はもちろんDMMEをもつが、その共通祖先はDMMEをもたなかった。これについては、DMMEが独立に複数回進化したと主張されている。つまり、単孔類を含む系統、獣類の共通祖先、多丘歯類がそれぞれ独自にDMMEを進化させたという仮説は理にかなっている。

【第10章 反乱の時代】
・歯の生え変わりは、四肢動物で起きる。例えば、ベルトコンベア式の生え変わりパターンでは、口の奥から新しい歯が萌出し、古い歯が前から抜け落ちて、新しい山脈が絶え間なく供給される。このようなパターンは、現生哺乳類のいくつかのグループでも進化した。例えばゾウは、巨大な臼歯を顎の後方から新たに送り出し、古い臼歯と入れ替える。ゾウの長い生涯のうちに生え変わりは最大で6回起こり、存命中に6代目の歯がダメになると、かれらはふつう餓死してしまう(歯の寿命が命の寿命を規定している)。海牛類、すなわちジュゴンやマナティーも同じしくみを採用している。しかし、海牛類は臼歯の供給回数に上限はないらしく、一度にひとつずつ、歯列が完全に揃うまで送り出される。一部のカンガルーも同様だ。これらは、植物食による著しい摩耗への対処として、動物たちが改変してきたことだ。

・白亜紀に、後獣類と真獣類が現れた。アジアで発見された樹上性の真獣類エオマイアは、「暁の母」という意味で、ハムスターのようでモフモフ毛玉を持っていた。これは、現生哺乳類の系統が約1億2500万年前のアジアで繁栄していた証拠である。現代の哺乳類の物語は、ほとんどの人が教わってきた6600万年前よりも、はるかに昔から始まっていた。

【第11章 故郷への旅】
・白亜紀の最後に大量絶滅(K-Pg大量絶滅事象)が起き、恐竜がいなくなった後、いち早く台頭したのは真獣類の哺乳類だった。こうして「哺乳類時代」の第二幕が始まった。この時代、新生代の古第三紀は6600万年前に始まった。

・著者らは、中生代の哺乳類を3つの異なるグループに分けてそれぞれの多様性を比較した。初期に多様化した哺乳形類(モルガヌコドン類やドコドン類など)、最初期の「真の」哺乳類(多丘歯類やゴビコノドン類など)、そして獣類、つまり現代の哺乳類だ。その結果、哺乳形類と初期哺乳類の系統は、中生代の大半にわたって獣類よりも多様性が高かった。一方、獣類はK-Pg大量絶滅のあとまでは、控えめであった。この結果から、私たちの祖先である獣類を抑え込んでいたのは恐竜よりも、むしろ広義の哺乳類の兄弟姉妹だった可能性が示唆された。白亜紀末に起こった、競合する別の哺乳類系統の絶滅は、恐竜たちの退場と少なくとも同じくらい、現代の哺乳類の台頭を後押しする重要な要因だった。

・K-Pg大量絶滅の後の、新生代、古第三紀初期に有胎盤類が、ほぼすべての大陸でいくつもの系統へと急速に多様化した。最初のアフリカ獣類(ゾウ、ツチブタ、キンモグラを含む系統)がアフリカに現れる一方、北半球ではローランド獣類が新天地に足を踏み入れ、コウモリ(翼手目)の祖先や鯨偶蹄目の祖先が出現した。さらに、有胎盤類の第3の主要系統である、真主齧上目が形成された。これは齧歯目を含むグループである。(分子系統学では、こうした分類法とは少し違いがあり、またこれらの系統の分岐はK-Pg大量絶滅の前に起きたと考えているようだ)

・今日において大量絶滅が起きている。その原因は言うまでもない。そして、今回の大量絶滅を生き残る哺乳類は、前回の生存者とよく似ているだろう。小型で、巣穴に暮らす、夜行性のジェネラリストだ。この生活様式は、過去2億1000万年にわたって実践されてきた。危機対応は手慣れている。わたしたちは不確かな時代を生きているが、化石記録から何かひとつ、大きな安心材料が得られるとしたら、生命はいつだっとどうにか生き延びるということだ。これまでずっとそうしてきたように、単弓類が進化のレースを走りつづけることは、自信をもって断言できる。ただし、バトンを握るのはわたしたちヒトではなさそうだ...というのが著者の最後の主張である。

【訳者あとがき】
・本書の訳者の的場知之氏は、この分野の専門家ではないかもしれないが、よく勉強されていて、本書刊行後に報告された新発見について紹介している。2022年7月にネイチャーに掲載された、哺乳類の内温性の獲得時期を新たな手法で推定した論文が出た。内温化し体温が高い状態になると、内耳の半規管を満たす内リンパの粘性が低下するため、半規管の構造もそれに応じた変化を強いられるはずだという仮説に基づき、56種類の単弓類の内耳構造を分析した。その結果、内温性を示唆する半規管の構造変化は、三畳紀後期の哺乳形類の時代に急速に生じたことがわかった。一方、本書では、ペルム紀末から三畳紀前期にかけて、内温性を発達させる試行錯誤のような段階があったとしており、さて、どちらが正しいのか、どちらも正しいのか決着がついたわけではないが、哺乳類のルーツをめぐっては、このような斬新な視点からの驚くべき発見が今後も飛び込んでくるだろうとしている。

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