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阿倍仲麻呂

阿倍仲麻呂(701 ~ 770)は古来の有力中央氏族出身、716 年に16 歳で霊亀度遣唐使の留学生に選定された。彼は『古今和歌集』羈旅406 番「あまの原ふりさけみればかすがなる みかさの山にいでし月かも」の歌で知られ、これは『百人一首』にも採られているので、日本の遣唐使一行の中でもっとも人口に膾炙した一人であり、高等学校の教科書でも、遣唐留学生の代表的人物として大書される。ともに留学した人びとには下道(吉備)真備、井真成、僧の玄昉などがおり、日唐関係が安定化した後期遣唐使としては2回目の遣使で、唐文化移入が本格化する時代の先駆者として、大いに期待された。


 仲麻呂は長安到着時に18 歳、父は五位官人だったので、四・五品の子弟、14 ~ 19 歳という唐の太学の入学資格に適合しており、日本の留学生には稀有なことに、唐の太学で勉強することができた。科挙に合格して登用されたと考えられてきたが、近年は科挙合格 は疑わしく、むしろ上述の弁正や滞留を余儀なくされた大使坂合部大分など大宝度の滞留者が築いてくれていた玄宗皇帝との人脈により起用されたと解されている。

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