吉備真備
2019 年12 月末に日本の新聞各紙は中国深圳の望野博物館が所蔵する墓誌に日本の遣唐使関係者の名前があることを報道した。734 年6月に死去した鴻臚寺丞李訓という人物の墓誌で、鴻臚寺は外務を掌る役所、文章を作成したのは秘書丞褚思光、そして「日本国朝臣備書」とあるから、この人物が墓誌の文字の下図を筆書したことがわかる。
広東省にある「深圳望野博物館」で発表会の様子
朝臣備とは誰か。大宝度の粟田朝臣真人は「朝臣真人」、霊亀度の阿倍仲麻呂は「朝臣仲満」と記され(『旧唐書』日本国伝)、当時在唐の日本人では下道朝臣真備(746 年に吉備朝臣と改姓)が浮かび上がる。真備はこの年11 月に帰朝、6月は出発前で、齟齬はない。
「日本国朝臣備書」
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