運動音痴の私が、走った。
見出し画像

運動音痴の私が、走った。

私はスポーツとは無縁の人生を送ってきた。
とにかく、運動音痴である。
高校の時の100m走のタイムは23秒で、ストップウォッチに刻まれたタイムを見た体育の先生に
「お前、真剣に走れよ!」
などと言われたりした。真剣だっつーの。
中学の時は、部活動強制加入だったのだが、とにかく運動は嫌だったし、吹奏楽部も筋トレをすると聞き、消去法で美術部にした。本当は帰宅部がよかったなあ。

そんな私が、スポーツをした経験として、ただひとつだけ、胸に残り続ける競技。
それは、かつてテレビ朝日系列で放送されていた、小学生クラス対抗30人31脚だ。(この記事を書くにあたって、ググったらもうやっていなかった…確かにテレビで見かけなくなったなあって思った。さみしい。)
その地区大会に、小学6年生の時、クラスのみんなと、そして大好きな先生と出場した。

事の発端は担任の先生だった。5年生から持ち上がりの担任の先生は、封筒に入ったおたよりを配った。絶対におうちの人に見せてね、みんなは中身を見ないでね、と言っていたような気がする。
学校で配られるおたよりはA4の紙ペラが主流なのに、封筒に入っているだと…?中身が見えないように、ってことだろう。これはただごとではない。中には何が書いてあるんだろう。気になって仕方がなかったし、いろいろな想像が膨らんだ。
結局、内容は、先生からの「30人31脚に出たいと思っています。」というものだったらしい。先生は、教員になったら自分の受け持ちのクラスで出たいと、長い間思っていたらしい。先生がそう思ったきっかけを、聞いてみたかった。なんて、今更になって思う。
その時、先生は確か20代後半、ちょうど今の私と同じような年齢だ。
競技に参加するには高学年が現実的だ。そして6年生の担任になり、仕事にも余裕が出てきて、やっと夢をひとつ叶えるための、挑戦の時だ!なんて思っていたのかもしれない。もしかしたらそのために、5・6年生の担任をしたいと希望を出していたのかもしれない。(実際希望出せるのかとかは知りません。あくまで私の推測です。)
どうやら前にいた学校でも卒業担任をしたことがあると言っていた覚えがあるので、もしかしたらその時も提案したけれど叶わなかったのかもしれない。などとまた勝手な憶測をしてしまう。街も相手も違うとはいえ、再度の提案には不安もあったかもしれない。その上の参加なら、喜びも気合いもひとしおだったろう。先生は、私がこんな風に先生の気持ちを想像したり、共感したりすることをとても喜んでいた。卒業の際にもらった寄せ書きには、「先生の気持ちを分かってくれるところがスキ」と書かれていた。

とにかくそんな風にして、保護者の了承を得た後で学級会議をして、みんなで話し合った結果、やろう!ということに決まったのだ。
練習時間は、朝と放課後。最初は2人や3人で、芝生の上を走ったりしていた(気がする)。
他にも、両手を後頭部にあてたまま足の力だけで山を登ったり、
10mの距離を何本もダッシュしたり、そんな練習をしていた。
テレビ朝日の取材がきたり、その中のひとりの、30人31脚のプロ的なおじさんに指導してもらったり…
夏休みも暑い中練習して、保護者の方が時々アイスを差し入れたりしてくれた。(気がする)

そろそろ全員で並んで50mを走れるようになったかな、という頃。
並び順を決めるために、ひとりずつ50m走のタイムを計測した。
運動音痴の私は、もちろんクラスの中では遅い方だ。私よりも遅い人も何人かいたし、早い人たちは確か8秒台とかじゃなかったか。一方私含め遅い組は11秒台くらいだっただろうか。3秒くらいの差がある。
いかんせん、十数年前の記憶なもので曖昧なのに、でも不思議と、例えば5年前とか、3年前よりは鮮明に刻まれているような、小学校の頃の記憶。

ひとりひとりにかなりのタイムの差がありながら、転ばずに、なお且つ全速力で、できれば風のように。果たしてそんなことが、運動音痴の私がいて、可能なのだろうか。自分が足を引っ張ってしまうのではないか。当時の私はプライドだけが高い小娘だったが、(今もちょっと頭のおかしい小娘だけど)それ故に、そんな不安もどこかに押し隠していたかもしれない。

クラス全員で、グラウンドにずらりと並んだ。きっとあの頃は、クラス内でグループとかもあったし、この人と肩を組むのは嫌だな…とかも多少あったと思う。私もクソのように性格が悪かったので不平不満の塊だったはずだ。でも、時が経って思い出すと、もうそんな負の感情は都合よく忘れてしまっている。美化された夏の1ページだ。

位置へ着いて、よーい。ここで例のプロおじさんにコツを教わった。ひとりで走る時のように、前傾姿勢を取るのではなく、上体は真っ直ぐに起こし、目線はゴールへ。片方の足を下げ、膝だけを曲げるような体勢を取る。
「集中ーーー!」とキャプテンが声を張る。
「集中ーーー!」とみんなで言いながら、全員の心をひとつに集中させる。
「1、2、3、4!」とキャプテンが走るリズムを私たちに教えてくれる。
「5、6、7、8!」ぴったり合わさった声には気迫がこもる。
ゴールへ向かって走った。ゴールで止まっては、タイムが遅くなってしまうから、ゴールよりも先を目指して走った。
転んでも、足首を繋ぐために支給された黒いゴムバンドが外れても。
何度だって立ち上がり、並び直し、繋ぎ直された足で、走った。

夏が終わり、一瞬の秋を迎え、10月の地区大会まで、練習は続いた。
とにかく十数年も前のことなので、辛かったとか、練習の時にこんな思いだった、というリアルさを感じるものはほとんど忘れてしまっている。

しかし、思うようにタイムが伸びなかった時期、先生(かキャプテンのどっちか)がこんな提案をした。
「30人以上、というのが出場の条件だから、クラスの中から30人を選抜して好タイムを狙い、とにかく地区大会を突破する。そして、全国大会は、クラス全員で走る。」
私たちのクラスの目標は、全国大会出場だったので、そこへ辿り着くための戦略だ。
再び学級会議が開かれた。結論は、「全員で走る」だ。おそらくそこまで揉めたり意見が対立したりしなかったのではなかったか。(記憶間違ってたらごめんねクラスのみんな)

こうして私たちはクラス全員で、地区大会に挑んだ。
結果は、8位。記録は10秒93だった。
全国大会出場の夢は叶わなかった。

この記録が私たちの自己ベストだったかどうかは、覚えていない。
もしかしたら練習ではもっといいタイムを出していたような気もする。
なんとなく記憶の中に10秒13というのが残っているのだけど、果たしてそれが自己ベストだったか。

とにかく10秒台を出していた、というのが大事で、
クラスで遅い方の人たちが、ひとりで走ったタイムよりも、早いタイムなのだ。
ひとりで走るより、みんなで走った方が、早い。
仲間がいれば、ひとりよりも、早く走れる。
それまでも、その先も、「誰かと何かに、真剣に取り組む」ということを鼻で笑っていた私にとって、これは、目から鱗の体験だった。

結婚して、子どもを産んで、人生のむつかしさも感じつつあるような、今日この頃。
この体験と、そこから得たこの教訓。
ひとりよりも、みんなの方が速く走れる。
それを丸ごと、現状に当てはめて、だから頑張ろう。というわけではない。勿論、ひとりより誰かがいたほうがいい、ということを言いたいわけでもない。
ただこの記憶を思い出すと、なんとなく心がほっとしする。ガチガチに固まった肩の力が抜けて、食い縛った歯もゆるんでいく。
私にとって、30人31脚の経験は、今は亡き恩師が与えてくれた、束の間心が休まるひとときをくれる魔法のひとつだ。
先生、見ててね、私はこれからも進んでいくよ。








この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
若葉ことり

サポートしていただけましたら、本を買ってもっと勉強します!

ありがとうございます!
北海道在住。創作にまつわるあれこれや身の周りの事を、自分らしく、書くところ。 できるのなら、あなたの心を揺さぶってそっと寄り添いたい。「#スポーツがくれたもの」コンテストにて、グランプリ受賞。 お仕事もご相談ください。(ページ下部「クリエイターへのお問い合わせ」よりお願いします)