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エンターテイメントは誰かを救う

これから書くのは約3年半の間に私自身に起きた変化と小学生の頃の記憶。

月並みな言葉で言えばお笑いに救われた話だが、お笑いなら何でも良かったわけでは無い。あのコンビ以外では成し得なかったことだと思う。

なぜあの2人が私にとって特別なのか。
テレビにも劇場にもおもしろい芸人が数多いる中で、なぜあの2人だけだったのか。

上手く書けるかどうかは分からない。
もしかしたら書くだけ書いて公開しないかもしれない。

でも、もしかしたら私と同じような経験をした人がいて、そういう人達の目に止まって少しでも何かを思ってくれれば良いと思う。

まずは小学生の頃の思い出を少しだけ。


小学生の頃

端的に言うと家庭は一回崩壊して学校では複数名から殴る蹴る盗むのいじめに遭っていた。

もう少し細かく書こうとしたが、どう書いても暗くなるので一行に留める。

子供の頃の居場所なんて9割が家か学校だ。
気が休まらない日々を送る中で、唯一の逃げ場がウッチャンナンチャンのウリナリだった。

毎週金曜日の夜20時に日本テレビにチャンネルを合わせてからの1時間。
社交ダンスにドーバー海峡、ブラビにポケビ。
ラスト10分〜15分のコント。

何かに向けて頑張る出演者の姿を見て勇気づけられて、彼らが挑戦に成功したらテレビの前で一緒に喜んだ。
コントも食い入るように見て、翌日は友達と真似をして遊んだ。
ホワイティが特に好きだった。

次はどんな展開とコントが待っているのだろうと1週間ワクワクしながら待っていた。

家庭環境が本当にどうしようも無くなってしまった時期は耳にヘッドホンを当ててブラビのアルバムを流しながら部屋にこもって勉強していたこともある。
それを見た叔母は偉いわねと感心していたが、単に余計なことを考えずに現実から逃げたかっただけだ。

そうやって現実逃避を重ねてやり過ごしながら義務教育を終え、高校を卒業し、大学進学で上京して一人暮らしを始める。
その過程でウリナリは放送を終了してしまったが、笑う犬の冒険/発見/情熱/太陽、内村プロデュース、LIFE、イッテQ、私の”毎週のお楽しみ”はあり続けた。

社会人になるとテレビをほとんど見なくなり今では全くと言って良いほど見ていないが、子供の頃の私を救ってくれたウッチャンナンチャンは永遠だ。

ウリナリが無ければ、あの時期を乗り越えることは難しかったかもしれない。


笑う犬のコントで『生きる』というものがある。ネプチューンの原田さんと名倉さんがプロレスラーのテリーとドリーと言う兄弟を演じ、以下のようなやり取りを繰り返す。(コントを文字に起こすのは大変不粋だが許してほしい。)

ドリー「毎日毎日同じことの繰り返しで生きてる気がしないんだよ!」
テリー「そんなこと言わないでよ、お兄ちゃん!」
(ドリーにゴムパッチンなどの悪戯をしかけながら歌うテリー)
テリー「生きてるってなんだろ?♩」
ドリー「生きてるってなぁに?♩」
(※複数回繰り返し)

テリーのせいで痛い思いをしたドリーは怒るが、痛みで生きていることを実感し喜ぶ。


社会人になってから

今から4年ほど前、笑う犬の冒険のドリーと同じような気持ちになっていた。

朝起きて会社に行って仕事をして帰宅して夜はアマプラで海外ドラマを見てウェブ漫画を読む平日。
毎週同じような場所に行って特に何をするでもない休日。
その繰り返しで1ヶ月が終わり1年が過ぎ去る。

生きている実感がない。
つらいことや苦しいことが無い代わりに成長や変化もない。

なんとなくの焦りはあったが「別に悪いことをしているわけでもないし」と自分に言い聞かせ、寿命を消費するだけの生き方でも良いと自分を納得させようとしていた。

そういう暮らしを選んだのは他でも無い自分だった。

新卒入社で心折れる

特にやりたいこともなかった大学生の私は、なんとなくでエントリーシートを出した会社にそれなりの志望動機を携えて猫の皮を10枚くらいかぶって面接に臨んだ末に内定をもらい、入社後は(今思うと)結構必死に頑張ってはいたのだが思いっきり根っこから心を粉砕されてしまう。

それはもうボッキリとグシャグシャに。

泣きながら上司に医師の診断書を見せたら
「これくらい誰でももらえるから。」
と半笑いで言われたことを私は今でも覚えている。
あの野郎。

今でこそ怒れるが当時の私はメンタル激弱で何が起きても全部自分が悪いと思い込むほどだったので、謝罪と愛想笑いを重ねて「いや会社が悪いとは言ってないんですよ」を強調してなんとか休職を取り付け実家に逃げて、そのまま退職した。

休職をしても退職をしてもすぐに元通りと言うわけには行かず、しばらくは通院を続け、自分なりの回復方法を模索し多少の時間をかけてフルタイムの仕事に就けるようになった。

様々な症状があったが、今思うと「文章が読めない」と言うのが1番つらく惨めだった。
文字も単語も読めるのに文章が全く理解できない怪現象。
一度読んだものは記憶に残っていて理解できたので、ひたすら子供の頃に読んだギャグ漫画を読み返していた。140字以内のTwitterも読めた。
仕事が落ち着いたら読もうと買っておいた小説を時間をかけて読めるようになったのは退職してから1〜2年後くらいのことだったと思う。

どうしてあんな状態になってしまったのかと自分なりに考えたり調べたり医者に聞いたりした結果、大きすぎるストレスが原因の1つだと言う答えに辿り着いた。

ストレスに耐えきれなくなった脳がバグを起こし、思考や体に様々な不具合をもたらす。

また最悪の状態に戻るのが怖かったのでストレスを避けて生きるようになった。
決して無理はせず、自分が出来そうなことだけを出来る範囲で。

ストレスが少ない環境に身を置いたおかげで元通りに生活できるようにはなったが、生きている実感は無くなった。

行動力や好奇心も格段に衰えた。

物事に対して興味を持てず、知らないことを知りたいと思えない。
行きたい場所も見たいものも欲しいものも特に無かった。

少しだけ某アイドルグループにハマってファンクラブにも入ったのにすぐに熱は冷めてしまった。

やはり変わらない毎日を繰り返して歳だけとっていくのだろうかと思っていた頃。
偶然、1本のテレビ番組に出会う。

2019年12月23日
NHK総合『時事ネタ王』

時事ネタ王

めちゃイケや笑っていいとも!が終わったあたりから、なんとなくお笑い番組はつまらなくなったという思い込みがあった。
だから時事ネタ王までの数年間はお笑い番組をほとんど見ていない。M-1グランプリも笑い飯が出ていた頃あたりで記憶が止まっている。

それなのに、なぜか2019年はM-1グランプリ決勝戦を最初から最後まで見ていた。
ミルクボーイにぺこぱ、すゑひろがりずが特におもしろくて数年ぶりに「お笑いを見たい欲求」が生まれた。

決勝戦の翌日、22時。
確かお風呂上がりで、たまたまチャンネルをザッピングしていたら目に止まったのがNHKの『時事ネタ王』。
ちょうどオープニングが始まったところだった。番組の説明を聞いたらおもしろそうだったのでそのまま見始める。

“これは2019年に話題となったニュースを芸人たちがネタに落とし込んで披露するバラエティ”

お笑いナタリーより

出演者はハナコ、EXIT、四千頭身、わらふぢなるお、なすなかにし、三拍子。
今よりもお笑いに疎かった私はかろうじてEXITを知っているくらいでハナコと四千等身は区別がついていなかった。
オンバトを見ていなかったので他の3組に関してはコンビ名すら初耳。

EXITの後くらいだっただろうか。
見たことのない花柄のスーツの男性とメガネをかけて蝶ネクタイをつけた男性のコンビが出てきた。

全く見たことがなかったので、一瞬リモコンに手をかけてザッピングしかけた。

なんでしょうね。あの視聴者心理。

ボタンを押しかけたところで2人のお題が「GSOMIA」だと聞こえてリモコンをテーブルに置いた。

今でこそ全く聞かなくなったが2019年の年末頃はテレビやネットのニュースで毎日のように見かけた単語「GSOMIA」
一回だけ意味をググったけど文字数が多くて理解することを諦めた単語。

ちょっと気になったので視聴を継続。つまらなかったらチャンネルを変えようと思いつつ。

「どうもー」の声と共に登場し漫才が始まる。

やっぱり一度も聞いたことが無いコンビ名だ。
でも若手芸人というほど若くも無い。誰?

ボーッと見ていたら「NHKをぶっ○す!」というフレーズが聞こえて思わず吹き出してしまう。NHKでそれをやってくれる。少し前のめりになってテレビを見る。

つかみが終わって漫才に入る。(当時は“つかみ”なんて言葉も知らなかった。)

そこからは初めての感覚だった。
おもしろくて笑っているうちに「GSOMIA」の基本的な意味を理解していた。

解説があってお笑いがあるのでは無くて、お笑いの中に解説要素が溶け込んでいる。
だから見ている方は考えなくても笑っているうちに意味を理解している。

なんでこんなおもしろい人たちを出し惜しみしていたのだNHKは…と憤りすら覚えた。
(今思うとむしろ出している方なのだが。オンバトを見ていない私が悪かった。)

忘れないうちにスマホのメモ帳にコンビ名を書き留めた。

『三拍子』

生漫DAY

「GSOMIA」の基本的な意味がわかるだけでニュースが格段に理解しやすくなった。知らないことを知り、わからないことがわかるようになるのは久しぶりの感覚。

何者なのだろうと思い三拍子について調べたらYouTubeで生配信をやっていることを知った。
一度見てみたいと思うものの2週に渡って見逃し、初めて見たのは年が明けて2020年1月13日。

YouTube生配信を見るのも初めてで、生配信のチャットに参加するのも初めてだった。

22時。配信が始まる。
漫才では花柄がボケでメガネがツッコミだったのに、トークではメガネの方がボケまくる。
30分過ぎたあたりで時事漫才が始まった。
時事漫才が終わると視聴者参加型の企画。

あっという間に60分が終わった。
普段テレビで60分番組を見ている時と明らかに時間の経ち方が違う。
CMも1回しか無く、カメラもほぼ固定されていて出演者は2人しかいない。
それなのに60分が一瞬で過ぎ去った。

めちゃくちゃおもしろい。

なんでこんなにおもしろい番組の情報が今まで私のもとまで流れて来なかったのだと憤りを覚えた。

それからは毎週月曜日22時から生配信を見て、配信終了後に時事漫才部分を見返して、他の曜日は過去の配信や三拍子の漫才動画を見ることが習慣となる。
アマプラの海外ドラマは見る暇がなくなった。

1月の末あたりに三拍子の単独ライブのDVDを二枚購入した。(この頃は単独ライブと単独ではないライブがあることすら知らなかった。)

初めて見たDVDは2019年に開催した無料単独ライブの『Waltz』。

狭くて黒っぽい会場に客が体育座りをして2人の漫才を見ている。みんな楽しそうに笑っていていつか私もあの光景の一部になりたいと思った。

90分間のDVDはあっという間で、見終わる頃には頬が痛くなっていた。
頬に手を当てながら、これほど笑ったのはいつぶりだろうかと思った。


時事漫才

生漫DAYは三拍子の高倉さんが「毎週時事漫才を作って披露する場が欲しい」という思いで始めた番組だ。時事漫才を通して知るきっかけ、考えるきっかけをつかんでほしいとも言っている。

まんまとその策略にはめられた。

ニュースをほぼ見なくなっていた私はニュース代わりに三拍子の時事漫才を見るようになる。
芸能ゴシップから政治に経済、環境問題。取り扱う話題は多岐に渡り、毎週「こんなニュースがあったんだ。知らなかったー。」と思いながら笑う。

あくまで漫才(お笑い)メインなので詳しくは語らないところがいい。おかげで自分で調べる習慣がついた。知らないことを知ろうとするクセがついたのだ。すぐにググっちゃう。

好奇心が徐々に蘇っていく。

2020年の6月頃には「レジ袋有料化」の時事漫才を披露した。
その中の「海に流れるプラゴミは年間800万トン、久保800人分」というフレーズが妙に耳に残り、配信終了後にプラスチックゴミが海に流れるメカニズムやゴミの分別などについて調べた。

高倉さんがお勧めしていたマシンガンズ滝沢さんの「ゴミ清掃員日記」という本も買い、ゴミの分別を意識し始める。トイレットペーパーの芯やお菓子の箱は資源ゴミとして出し、最近は使っていないがマイストローも買った。

地球温暖化もゴミ問題も学校の授業やニュース番組で幾度となく見てきたのに一度も興味を持ったことはなかった。
それなのに三拍子の時事漫才を1本見ただけで急に興味を持ち始め、生活習慣まで変わる。
我ながら不思議。

知的好奇心だけで無く行動にまで影響を及ぼすようになったのはこの頃からだ。


早朝配信

第二次緊急事態宣言が発令された2021年1月から2022年5月にかけて高倉さんは毎朝6:30から音声配信アプリRadiotalkでラジオ配信を行っていた。

ここでも生活習慣や行動に変化が起こる。
大きく分けて三つ。

①早起き
子供の頃から早起きが苦手でラジオ体操のスタンプカードは空白が目立っていた。
大学生の頃は一限をよく寝坊して欠席、大人になってからも二度寝、三度寝を繰り返しギリギリまで寝ている。
それなのに早朝配信があった頃は平日も休日も関係なく6:00〜6:30の間に起きることができた。
二度寝をせずに過ごした土曜日は1日が長く、いろんなことが出来て充実していた。

約1年と4ヶ月、良く毎朝起きれたと思う。祖母の逝去で1日だけ聞けない日があったが、それ以外は全部起きて聞いていた。
もちろん1番すごいのはあの時間帯に起きて喋り続けた高倉さんだが。そもそも毎朝配信を始めようと思う時点で常軌を逸している。

②読書
配信の中で最近読んだおもしろい本を紹介することがあった。
芸人さんのエッセイ、クリエイティブディレクターのデザイン本、官能小説表現用語集、小説、新書、環境問題に関する本など。

比較的読書の習慣があった学生時代でさえ小説くらいしか読まなかったのに、紹介された本を手当たり次第に読んだ。
眼精疲労に見舞われたが今まで興味を持ったことのないジャンルに触れることはとても新鮮で楽しかった。
そして、これだけの文章を読めるようになったのだと自信を取り戻し安堵した。

③ゴミ拾い
公園で配信するようになった高倉さんは落ちているゴミが気になり、ある日からゴミ拾いをしながら配信するようになった。

その数ヶ月前から通勤経路に落ちているゴミが気になっていて拾おうか拾うまいかずっと迷っていた私は、配信を聞いているうちに背中を押されてゴミ拾いを始める。
最初は人目が気になって恥ずかしかったが徐々に気にならなくなり、季節ごとに変化するゴミの種類に面白さを感じた。道が綺麗になると達成感もあった。一年を通じて落ちている煙草の吸い殻には腹が立ったが。

それまではボランティア自体を毛嫌いしていた。
学校や職場でのボランティア活動はいつでも強制参加で達成感も何も無い。
だが、初めて誰に命令されるでもなく始めたゴミ拾いは楽しいものだった。

他にもオススメのバンドにハマってライブに行ったり、飲食店に行ったり、ドキュメンタリーや映画をネトフリで見たり、オススメのレシピで料理をしてみたりと配信を通して聞いた何かが大なり小なり私の行動に影響を及ぼした。
そんな1年と4ヶ月だった。


初めての単独ライブ

2019年の年末に時事ネタ王で三拍子を知り、翌年の1月からYouTube生配信を見始め、その月末に単独ライブのDVDを見て生の漫才を見に行きたいと思った。
時を同じくして例の流行病が世界的に蔓延し始め、あらゆるエンターテイメントが一斉に休止や延期に追い込まれていった。“都道府県を跨ぐ移動”も自粛を迫られた。

ライブの開催が難しい期間も三拍子はそれぞれの自宅からテレワーク形式で生漫DAYの配信と時事漫才を継続した。
それだけでなくZOOM配信で自宅から無観客の単独ライブを複数回行ったり、高倉さんはYouTube生配信で視聴者から歌詞に使えるフレーズと旅行写真を募って『脳内旅行』という曲とMVを作り上げた。

世界的な混乱による先が見えない不安の中で唯一の娯楽であり救いだった。

ライブ自体が無くなり、“不要不急の外出”を自粛しなければならなかった時期も届け続けられた漫才を見て三拍子の漫才を見に行きたい欲求と見に行けないもどかしさは日々募っていく。

やっと三拍子の生の漫才を見に行くことができたのは2020年の12月13日。時事ネタ王を見た日から約1年後。
『漫密2020』というタイトルの単独ライブだった。

お笑いライブというもの自体にほとんど馴染みがなかった私は、初めて見る三拍子の生の漫才に爆笑して熱狂して感情が爆発した。(と、過去のブログに書いてある。)
終演後に建物から出た時の夜風が気持ちよくて、体も気持ちも軽くなっていたことを覚えている。
1年間の嫌なことが全て消え去って、逆に楽しい気持ちが心の中に充満しているようだった。

また見に来たいと思うと共に、これがあれば何が起きても乗り越えられるような気がした。


年明けから再度緊急事態宣言が発令され、またライブを見に行けない期間が4ヶ月ほど続く。

2021年4月。西新宿のナルゲキという劇場で初めて複数の芸人さんが出るお笑いライブを見た。もちろん三拍子が出演するものだ。
それがたまらなくおもしろくてお笑いライブ自体が病みつきになる。笑うって超気持ち良い。

その後も緊急事態宣言やらマンボウやら第○波やらで上京しづらい日々が続くが、諸々が落ち着いて来た秋頃から毎月ライブを見に行くようになってしまった。

そんなつもりではなかったのだが。

いつの間にか見たいものや行きたい場所が増えていた。
高倉さんの音楽のライブや三拍子と関わりの深いアイドルのライブ、新たに好きになった1組の若手漫才コンビが出演するライブ。
生漫DAYで紹介されたり三拍子が訪れた飲食店や施設や公園。

緊急事態なんちゃらで行けなかった期間が長かった分、反動で歯止めが効かなくなったのだろう。
1ヶ月に3回上京したこともある。

2022年の1月から4月までは三拍子が出場した芸歴15年以上の賞レースの予選から決勝までを毎月見に行った。

8月に大きな単独ライブが開催されると聞き、それまでは我慢しようと思ったが結局5月も6月も7月も行ってしまう。

ここで問題となって来るのが時間と金。
新幹線で片道約2時間/約1万円、高速バスで片道約5時間/約2000〜4000円、そこに宿泊費などが必要となる場合もある。

体力的にも経済的にも疲れが出て来始めた。

一方で、それでも行きたくても行けないライブの方が多く歯痒い思いをしていた。
生のライブの楽しさを知ってしまったので配信では満足できなくなっていた。



転居と転職

欲求と時間と金の問題に対してどう折り合いをつけるか。選択肢は3つあった。

①ライブに行く回数を控えて配信で楽しむ
②給料の良い会社に転職して今までと同じように通い続ける
③転職して東京に引っ越す

転職は数年前から考えていたものの、あと一歩踏み出す勇気とやる気が出なくて尻込みしていた。

色々と考えたが地元に留まらなければならない理由は特に無かった。

地方で働きながら東京の職と住居を探すのは難しそうだが、③が1番合理的なように見えた。

「とりあえずやってみてダメだったら現状維持で行こう。」と思い、東京で職と住居を探し始める。

(細かいことを言えば求人情報を見て心が折れて最初は安いアパートを借りてバイトでもしながらゆっくりと職を探そうとしたが、仕事が決まっていないと家を借りる手続きがかなり面倒になることを不動産屋で教えてもらい、まずは就職先を探した。)

夏、就職先が決まる。
折しも三拍子の単独ライブ(三拍子史上最大キャパ1,100人『ラストチャンスと言わないで』)当日だった。
その日の夜に友人にドライブに連れて行ってもらい、浅草寺で引いたおみくじは大吉で「願望叶うべし」「引っ越し良し」と書いてあった。

秋、引っ越す。
紆余曲折あった末になんとか転居先が決まり、仕事をしながら毎日梱包作業と様々な手続きを進めた。
それほど長く住んではいないのに驚くくらい不要なものが出て来て処分に奔走した。

仕事をしながらの転職活動と転居先探しと引越し作業は私にとってはかなり大変で体力的にも精神的にもきつかったが、「これを乗り切ればライブに行ける日々」を原動力に頑張った。

引越しから半年以上経つ現在も無事に生活できている。

4年前、見たいものも行きたい場所も無く、ストレスを避けて毎日毎日同じことを繰り返し成長も変化も無かった。

今は見たいものも行きたい場所もたくさんあり、その為に動いて毎年何かしらの新しい経験と出来ることが増えて行く。

生きているという感じがする。


特別な理由

“なぜあの2人が私にとって特別なのか。
テレビにも劇場にもおもしろい芸人が数多いる中で、なぜあの2人だけだったのか。”

最初に書いたこの疑問は、実は私自身がずっと答えを見つけられないものだった。

・漫才がおもしろいから
・トークがおもしろいから
・単独ライブがおもしろいから
・高い目標(2026年武道館単独ライブ開催)を掲げ、挑戦する姿勢を示し続けているから
・コンテンツの供給量が多いから

恐らくどれも正解だが恐らくその根っこに本当の正解がある。

初めて時事ネタ王で漫才を見た時に眠っていた好奇心を刺激され、初めて単独ライブを見に行った時に大きく心を動かされたのが全ての始まりで冒頭の疑問の答えだ。

“お笑いライブというもの自体にほとんど馴染みがなかった私は、初めて見る三拍子の生の漫才に爆笑して熱狂して感情が爆発した。(と、過去のブログに書いてある。)
終演後に建物から出た時の夜風が気持ちよくて、体も気持ちも軽くなっていたことを覚えている。
1年間の嫌なことが全て消え去って、逆に楽しい気持ちが心の中に充満しているようだった。

また見に来たいと思うと共に、これがあれば何が起きても乗り越えられるような気がした。”

数多いるおもしろい芸人の中で、笑いで心を動かしてくれる存在は三拍子だけだった。

死んでいた好奇心と行動力を生き返してくれたのは彼らだった。

「何が起きても乗り越えられる」というのはとても心強い自信となり、あと一歩を踏み出す勇気をくれた

つまりは、人生を変えてくれた。良い方向に。


観客は勝手に救われている


「お笑いに救われる」と聞くと「辛い時や苦しい時に笑いで助けられた」と言うような場面を想像することが多いと思う。

もちろんそう言う場面もこの3年半で何度かあった。

解決策が見えない問題にぶつかってどうしようもなくなった時に、三拍子のYouTubeチャンネルで毎日更新されていた動画を見て笑って立ち直ったことがある。
祖母の死と向き合えなくて葬儀に行く気力が出なかった時、「葬式のマナー漫才」の動画を見たら笑って気分を切り替えてベッドから起き上がることが出来た。  

要所要所で救われると共に、もっと根本的な部分に影響を及ぼし「生き方」自体に変化をもたらしてくれた。

「いつもありがとうございます」と手紙等に書くことがある。
その「いつも」は各種ライブや単独ライブ、配信等のことだけを指すのでは無く文字通りの「いつも」だ。

「2人のおかげで変わった私の日常と私自身をありがとうございます。」

もちろん2人は誰かを救おうと思って漫才をしているわけではない。目の前の観客を、不特定多数のファンを笑わせて楽しませて自分達の夢や目標に向かう為にやっているはずだ。

2人を見て私が勝手に救われた。

エンターテイメントは常にどこかの誰かを救っている。


お笑いはお笑いとして純粋に楽しみたいと言う思いもあったので「お笑いに救われた話」はあまり書きたくはなかった。

だがここ数年の変化は明らかに三拍子のおかげであり、2人との出会いは偶然の産物だ。

現状を変えるとっかかりとなる何かはきっとどこかに転がっている。
あと一歩を踏み出す勇気を与えてくれる何かはきっとどこかにある。  

数年前の私と同じように何かを諦めてしまっている人にそう言ったことが伝えられればと思い書いてみた。思った以上に長くなってしまったのでここまで読んでいる人は1人もいないかもしれないが。

そう言えばnoteを始めたのも三拍子のライブを記録して誰かに拡めたいと思ったのがきっかけだった。

※旧アカウントだが私が最初に書いた三拍子関連のnote

私は元々文章を書くことが苦手だった。





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