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全ては月と太陽のようにひきあっている

先月の20日から22日までの3日間、奄美大島にいました。奄美大島のことは前々回の記事で書きましたが、今回も奄美大島での気づきから、自分のまわりの世界のことを見つめてみたいとおもいます。

奄美大島では、海の近くの民宿に泊まっています。今回も大和村という村の小さな入江にある民宿に宿泊しました。早朝、朝日を見ようと海岸に出て沈みゆく月を眺めていました。そして空が明るくなってゆくにつれて、その月の沈む軌道の上から朝日が登ってくるのです。当たり前の話なのですが、奄美大島に来ると月と太陽の関係を間近に感じられます。それだけではなく、月の動きは潮の動きとも連動しているし、太陽が顔を出せば、鳥たちは一斉に歌い始めます。この世の全てはお互いに繋がりあって、影響しあっているのだなあとおもいます。

例えば、恋愛ひとつとってみても、「なぜその人に惹かれるのがわからない」ということがよくあります。「顔が好みだから」「優しいから」後付けて理由はつけられます。でも、ただその人が笑うと胸が高鳴る。会えない時間が長くなるとどうしようもなく辛くなる。そんなふうに感じます。恋愛は現象なのです。月と太陽のようにひきあっているからこそ、感情の波が立つのではないでしょうか。これは自然の摂理です。

そういうことを考えていたら「老荘思想」という言葉が頭に浮かびました。のちに道教となる「思想」です。「老荘思想」を辞書で調べると以下のようになります。

中国、道家の説に基づき、3-4世紀の魏晋時代に流行した思想。社会不安と儒家に対する反動から、老子・荘子を尊び超俗的な説を展開、清談の風を生じた。のち道教の要素となる。

大辞林

清談というのはこの時代に生まれた哲学談義のようなことです。

今まで当たり前だと考えられていた儒教の教えとは違う考え方について哲学談義して世に広めようとしたのです。わたしは最初この本で老荘思想にふれました。今回老子の部分だけ再読してみました。

この本では老子は道教を創始したわけではありませんが、老子の著書『老子』で「道を説いている」としています。では老子にとって「道」とは何か。

ことばで言いあらわせない、分化していない原始の状態であり、あらゆるものに先立つものだ。(中略)宇宙のあらゆるものがそこから生じ、宇宙のあらゆるものがそこに帰っていく。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 117頁

世界のしくみは「道」の状態といのははじめの状態でそこからさまざまに変化していきます。しかし「道」は母のような存在で、全てを生み出し、変化させ、そして帰らせる。つまりは万物流転というか、全てのものは出どころが同じでたまたまその時一緒にいるだけです。

だからこそ、すべてのものは関係しあって影響しあって生きていて、弱くても繋がり合うことで強さになっています。まさしく自然界がそうであるように。そしてどんなに弱い自然界の一人でも、新しい世界を作ることができる。ちょうど風に飛ばされたかよわい苗が吹き飛ばされた場所で新たに根を張り出すように。

君が作り上げるこれまでと違う繋がりは、これまでと違う環境を生み出す。きみは、自分とほかの人を隔てる区別を取り除いている。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学 128頁

今回、日本語教師の勉強会「Wakaba Seminar」を立ち上げることにしました。明日の授業の役に立たない、日本語教師の勉強会です。とりあえずは1年やってみようとおもいます。老子のいう「道」のように小さくてもこれまでと違う環境を作り出し、新たな何かが生み出せたらいいなとおもいます。参加してくださる皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

サポートよろしくお願いいたします。 サポートいただけたら、大好きな映画をみて、 感想を書こうと思います。