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【企画】日本語業界のきっかけ


最初は、国語からのスタートだった。


小学校の時、国語の授業で『ごんぎつね』の感想文を書くことになった。

私は何を勘違いしたのか、茂平からごんへの謝罪の手紙を書いた。

「おめぇさんが食べ物をくれてたって知らなかったもんでよぉ〜。悪かったなぁ〜・・・」みたいな。

そしたら先生はとても気に入ってくれて褒めてくれた。単純だけど、それから国語が大好きになった。将来は国語教師になりたいと思っていた。

中学の時、叔母がオーストラリアに連れて行ってくれて、とても気に入り、将来は海外で仕事がしたいと思った。そこで、外国人に日本語を教える仕事があることを知った。それもいいなと思った。


目標が決まると行動が早いが、考えなしなので挫折あり。


大学の時、中学と高校の国語の教育免許をとった。その後、日本語教師養成講座420時間も通った。

その後、めでたく私立高校で交換留学生に日本語と、高校生に国語を教えることになった。

高校の国語は現代文ばかりじゃなく、古典も漢文も教えなければならない。古典文法が苦手で、漢文も好きじゃなかったので、それが苦痛だった。

しかも学校では生活指導やら担任業務、ホームステイ先との連絡、三者面談、部活動指導など仕事がありすぎて、ほとんど教材分析ができなかった。週末は授業準備で潰れた。新米で自信がない私は当然、生徒にも信用されず、クラス担任としてうまく機能せず、毎日ボロボロだった。

そんな中、日本語を教える時間は大変だけど、楽しいと思ったし、私にとってちょっとしたオアシスだった。


日本語の取り出し授業は留学生が主役。やりたいことをする。


高校に来ていた交換留学生(台湾・オーストラリアの姉妹校の生徒)は日本人の生徒と同じクラスで同じ授業を受け、そのうち1日に1、2時間だけ取り出しで日本語、日本の地理・歴史、ホームルームなどがあった。

私はそこのクラスの日本語の担当だった。

留学生たちは日本人と同じ授業はほとんど理解できていなかった。だから体育と日本語の時間だけは分かるし、参加できるし、楽しいと言っていた。

日本語の教科書以外にも、日本の高校生活の疑問について話し合ったり、国語の詩について理解を深めたりした。

彼女たちの興味があることを授業で扱って、話し合って、

日本語の語彙を増やしたり文法を入れてまとめたりする授業は楽しかったし、

時間が穏やかに流れているように感じた。


自分たちで言葉を創造する。


特に歌詞の授業は印象的だった。

日本語の教科書で勉強する語彙や文型はもちろん役に立つけど、彩りがない。

基本語彙ではない、自分の気持ちを伝えるためだけに、組み合わされた、工夫された、易しい言葉だけど、新しい表現を見て、とても興味を持っていた。

彼女たちは日本語初級者だけど、それでも日本語で、自分の気持ちを平坦な言葉じゃなくて、個性的な自分らしい言葉で表現しようと工夫していた。

気に入った言葉を紙に書いてペンケースに大事にしまっている生徒もいた。


私が目指す日本語教師


私がこの先、目指すのは、

日本語の教科書だけじゃなく、漫画やアニメ、ドラマ、歌、詩、小説、新聞、雑誌、漫才、演劇、シナリオなど様々なジャンルで使われる日本語の表現を理解し、

よりその人の心に刺さる、その人が伝えたかった何かを日本語で伝えられるようにする、そのお手伝いがしたいと思っている。




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