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ショートショート14.『つぎ、降ります』

バスを運転していた藤澤は思った。なんでこうなった…と。

その時バスには乗客はいなかった。フロントの表示を『貸し切り』にしていた。にも関わらず、藤澤は大通りの道端で二人の男を乗せた。いや、乗せざるをえなかった。乗り込むなり小柄な方の男が声を上げる。

「動くな!今からこのバスをジャックする!外部に連絡したやつは…、おい誰もいねえぞ。」

小柄な男はバッグから取り出したスタンガンでバチバチと音を鳴らして誰もいない空間を威嚇していた。
一方で大柄の方の男はバスを運転していた藤澤に向かって言った。

「俺の言うとおりに運転しろ。少しでも不審な動きをしたら殺す。まずは次のバス停で人質となる乗客を乗せる。通常のルートで運転を続けろ。人質が確保できたら警察に身代金の要求を出す。」

藤澤は従った。しばらくバスを走らせていると次のバス停が見えてきた。頼むから誰も乗ってくるな、という藤澤の思いは儚く散った。言われた通りバスを停める。何も知らない一人の男が乗り込んできた。そして叫ぶ。デジャヴのように。

「動くな!このバスは俺がジャック…。」

バスジャック犯同士が目を合わす。お互いが状況を理解するため、バスの中の時間が止まる。その瞬間、藤澤はバスの乗り込み口を閉め、アクセルを踏んだ。藤澤はなぜ自分がそんな行動をしたのか自分でもわからなかった。大柄の男は横でバスを止めろと言い、後から乗り込んだ男は止めるなと言う。どっちかはっきりしてくれ、藤澤はこんな状況でイライラしている自分に引いた。
バスジャック犯同士の上下関係は、持っている武器の差によってすでに決まっていた。後から乗り込んだ男は刃渡り20㎝を超える包丁を持っていた。二人組のバスジャック犯はもはや、少額課金して優越感に浸っていたユーザーが圧倒的課金者の前で苦汁を嘗めるかのように渋い表情をしていた。そもそもスタンガンでは人は殺せないことからも、二人のバスジャック犯は本気で人を殺すつもりはないことがわかる。二人のバスジャック犯は人質へと降格した。

「お前ら、金を出せ。」

「バカ言え、金がねえからこんなことやってんだろうが。」

「もういい、バスを替える。降ろせ。」

包丁の男は藤澤に言う。

「黙ってこのバスに乗ってろ。」

藤澤はそう言って、包丁の男に拳銃を突き付けた––––。


藤澤はバスの運転手を30年勤めていた。毎朝バスの乗客を社会という地獄の永久機関に送り届けた。憂鬱な表情で会社に向かうサラリーマンの背中を押してきた。それは一つ一つのネジを社会という歯車に充てはめていくような感覚だった。社会は自分のおかげで回っているのだろう、そんな感覚すらあった。そんな仕事が藤澤は大好きだった。しかしバス会社は仕事熱心な藤澤の首を切った。いわゆるリストラだった。このままでは社会が回らなくなる…。藤澤の心のレバーが『復讐』というギアに入った瞬間だった。

藤澤はこれまで運転手として乗っていたバスに、乗客として乗り込んだ。脅しにはなるだろうと思い持ち込んでいたモデルガンを振りかざし、社会を回す大切な複数のネジをバスから降ろした。誰もいなくなったバスの運転席に座る。目的地は勤めていたバス会社。バスごと会社に突っ込み、会社を破壊してやる。乗客が乗らないよう、フロントの表示を『貸し切り』に変える。人生最後のドライブが始まった。前方のバス停でバスを待つ人の姿を捉えたが、残念、このバスはあの世行きですので。バス停を通り過ぎようとしたとき、二人の男が道に飛び出し、バスは急停車した––––。


目的地が見えた。藤澤はスピードを上げる。バスジャック犯たちは藤澤の暴走に気づき始めたがすでに手遅れだった。バスジャック犯たちは藤澤を止めに入る。バスはもはや藤澤の体の一部だった。小柄な男は、泣きながら『つぎ、降ります』のボタンを連打している。

「おいおい、何やってんだ!そこは警察署…」

ドゴッと大きく鈍い音を立てて、バスは警察署の壁面にぶつかって止まった––––。


警察署にバスが突っ込むという衝撃のニュースが世間を賑わせた。ことさらメディアが騒いだ理由は、乗客がバスジャック犯であり、運転手の見事な機転によって逮捕できたためだった。ドライブレコーダー には藤澤とバスジャック犯とのやり取りが残されていた。はずだった。入院していた藤澤に、警察から二つの選択肢が与えられた。バスジャック犯を捕まえた英雄となるか、同犯として逮捕されるか。藤澤は前者を選択した。
藤澤の『復讐』のギアは『ニュートラル』に入った。


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