「お母さんの宝物は?」に対する私の答え
かかの宝物は?
子どもに「かかの宝物は何?」と聞かれました。
「あなたたちよ」と答えようかと思いましたが、多分そういうことを聞かれてるんじゃないなと思い、「絵本」と答えました。
念のため子どもたちにも宝物がなにか聞くと、息子はゲーム、娘はぬいぐるみだったので、正解でした。
我が家の絵本
さて、私の家には大量の絵本があります。
これは、私が生まれて間もない頃に叔母が買ってくれたものがほとんどです。
叔母は中学校の教師です。
新卒で着任した学校で、なんとか図書みたいなものの募集があり、私が小さかったので貢ごうと申し込んでくれたそうです。
毎月決まった冊数の絵本が送られてくるもので10万円以上したと言っていた気がします。
そういうわけで、物心ついたときから私の周りにはたくさんの絵本がありました。
そして私は絵本をよく読む子どもでした。
外で体を動かして遊ぶのも大好きですが、絵を描いたり家でおとなしく遊ぶことも多かった私には、絵本がたくさんあるのはうってつけの環境でした。
大人になり私が家を建てたとき、両親が絵本をすべてくれました。
大人しかいない実家にあっても宝の持ち腐れだし、子どもがいる我が家に置いておくのはとても合理的です。
でも、なぜか私は親も私と同様に絵本を宝物に思っていると思っていたので、手放すことに驚きました。
私の中では「家宝」ぐらいの認識だったんですね。
それぐらい私は絵本を大切に思っていたことに、そのとき気づきました。
なぜそこまで絵本が大切なのか
単純に絵本が好きです。
昔の絵本も好きだし、最近の趣向を凝らした絵本も好きです。
お話も好きだし、絵も好きです。
本屋さんの絵本コーナーに行くと、際限なく買ってしまいたい衝動に駆られます。
でもそこまでの財力はないので2冊だけ、と決めて買おうとするも、選びきれずに時間だけがすぎ、疲れて買わずに帰るということも何度もありました。
買いたいけど、好きすぎて選べない。もう全部買うしかない。けどそんなお金も保管場所もない。じゃあ何冊かだけ買う?選べない。
というジレンマの結果、最終的に「絵本コーナーに住みたい」と妄想しはじめます。
とは言え、何冊か自分で買った絵本もあります。
特別に絵柄が好きなものや、子どもに聞かせたいお話のものを買っています。
私の趣味全開のものもあります。
自分で選んだ絵本は、好きが詰まっているのでもちろん大切です。
叔母や親が買ってくれた絵本も大切です。
私が小さいときから読み込んでいる本なので思い入れがあります。
改訂などにより、もう本屋さんではオリジナルを拝めないものもあります。
そうなると、今持っているものを大切にしないとと思います。
本当は子どもに自由に触らせたいのですが、買いなおしがきかないものは勝手に触られることに抵抗もあります。
なので、読むときは私の目が届く範囲で触らせるようにしています。
一方、私が買った絵本は子どもに好きに触らせます。
子どもが自分でめくったりあちこち持って歩く体験も必要だと思うからです。
破れて悲しい気持ちになったり、「やばい」という焦燥感を味わったりすることも勉強だと思っています。
触ってもよいと決めたものはとことん自由にさせるので、破れたものもたくさんあります。
そこまで自由にさせる理由に書きながら気づきました。
実家から持ってきた昔からの絵本を守るために、注意を分散させるために、私が買った絵本を差し出している感があります。
それと、私の大切な絵本を好き勝手触らせないことに対する罪滅ぼし感も。
子どもたちも成長して、本をめちゃくちゃに扱う時期を過ぎました。
そろそろ私の宝物を解禁するころかもしれません。
興味をもってくれて、あわよくば大切に思ってくれたら嬉しいです。
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