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廃れるということ
実家の近くに空き家がある。私が子どもの頃はおばあちゃんがひとりで住んでいた。
その家はにわとりを飼っていて、毎朝その「コケコッコーーーーー!!」を聞いていた。小学生のときは「にわとりは本当にコケコッコーって言うんだなぁ」と思っていた。思春期には「毎朝うるせぇな」と思っていた。
気付いたらにわとりはいなくなっていた。それからしばらくしてわおばあちゃんもいなくなった。施設に入ったのか、亡くなってしまったのか。おばあちゃんを見なくなってからしばらく軽自動車が停まっていた。おばあちゃんは車に乗らない人だったからお子さんがいたのかもしれない。その車もここ数年は見ていない。
おばあちゃんがいないことに気付いてから10年。
今年も空き家の柿がたわわに実っている。
生気のない小さい家に、生命力に満ち溢れた大きな柿の木が目立つ。毒々しいほど色の濃い実が不釣り合いなほどだ。柿はどれも今にも落ちそうなほどに熟れている。かつては誰かに食べてもらえていた柿。もはや誰にも食べてもらえなくて、何年も実っては落としを繰り返しているのか。
寂しいね。
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