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私の特別な犬

りんごの皮をむくときに必ず思い出すことがあります。

昔飼っていた犬のことです。
最終的な愛称は「むぅち」。
私しかそう呼んでないけど。

むぅちは大層食い意地の張った犬で、本当になんでもよく食べました。
この季節はとうもろこしのはしっこやスイカの皮をよく食べていました。

我が家は1年じゅうりんごがあって、りんごの皮はもれなくむぅちのおやつになります。
私が皮をむくときは「むぅちが喜ぶけんちょっと厚めにむこう」と考えながらむいていました。
毎回むぅちのことを考えながらむいていたので、お別れしてもうすぐ20年になりますが、いまだにりんごの皮をむくときは思い出します。

出会い

小学4年生のとき、誕生日プレゼントに犬をねだりました。
父が、事情があって飼い犬を譲渡したいという人とアポをとってきて、家族みんなで会いに行くことになりました。

行った先は大きな倉庫みたいなところで、頑丈そうな柵の中に2匹の人懐っこいゴールデン・レトリバーがいました。
「人来たー!うれしー!」とおおはしゃぎで飛び跳ねるオスゴールデンのうしろで、そわそわうろうろにこにこしていたメスゴールデンがむぅちです。

その日のうちにむぅちをお迎えしました。

(倉庫の奥の方にはチワワやダックスフントなどの小型犬がたくさんいました。
私は子どもだったのでわかりませんでしたが、父は多頭飼育崩壊だったんじゃないかと振り返ります。
本当にそうならばむぅちを譲り受けてよかった。
そして、今更ながらオスゴールデンの行方が心配です。)

生活

むぅちは本当に賢くて優しい犬で、そのうえとっても器量のよい子でした。
後にも先にもあれほど美人なゴールデンは見たことがありません。
いや、親バカではなく。
テレビや雑誌で見るモデル犬が同レベルか、下手すればむぅちの方が美人です。

お散歩は私の仕事だったのですが、初めてのお散歩でさえリードを引っ張ることなく、拒否することもなく、始終適切な距離で歩いてくれました。

進路のことで親とぶつかり外で泣いていたときには、同じ方向を向いて座り、体を寄せてくれました。
(その後飼ったおバカちゃんは、私が泣いていると顔をベロッベロに舐めてくれました。それも優しさで非常にかわいいのですが、やっぱりむぅちは賢かったなと再認識しました。)

母が妊娠中に散歩をした際には、引っ張らないのは当然ですが、チラチラ母の方を見ながら歩いてくれたそうです。

幼稚園児だった弟が誰にも言わずにむぅちを散歩に連れ出したことがありました。
気づいた母が慌てて探しに行くと、家から100メートルほど離れたところをふたりで歩いていて、母に気づいたむぅちは心底安堵した顔をしたそうです。
子どもに連れられて歩くことが不安だったのでしょう。
連れ出したのが幼い子供であることを把握し、それを不安に思う。
やっぱりむぅちは賢いです。

今の私とむぅち

むぅちは私が高校生のときに病気で亡くなりました。
病気のせいでお腹がすごく痛いはずなのに、亡くなる間際まで頭を持ち上げようとしたりしっぽを振ろうとしてくれました。
健気で優しくて大好きです。

冒頭でお話ししたとおり、今でもりんごの皮をむくたびにむぅちのことを思い出します。

その他にも、夜中トイレに行くときや、なんとなくお風呂がこわいとき、むぅちが隣にいてくれることを想像します。
私はこれを「むぅち召喚」と呼んでいます。
一人暮らしのときは頻繁に召喚していました。
「むぅち来て」と念じると本当にそこにいる感じがしてこわくなくなります。
優しいあの子だから本当に来てくれているかもしれません。

それから、近しい人が亡くなったり、好きな芸能人の訃報があったときにもむぅちを思い出します。
「お空に行ったらうちのむぅちがおるけんね。優しくてかわいい子やけんちょっと遊んでみてよ。」と思いを馳せます。
悲しみはなくなりませんが、お空で犬と故人が遊んでいるところを想像すると少し気持ちが落ち着きます。

実家ではむぅちの前後にも犬を飼っていました。
みんな大切でかわいくてそれぞれが一番なのですが、やっぱりむぅちは特別です。

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