「停滞期?」空が晴れたらそのことは忘れよう
『厄年の時に厄除けをすると、良いことまで祓い避けてしまうんだよ。』という話を聞いたことがある。
この手のことは詳しくないが、「厄」=「起きること」を除けるという意味なのだろうと私は思っている。
起きることはただの出来事で、良い悪いは人間の概念。病気や事故もこれをどう捉えるかは人によっても違うものですからね。
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今年は大◯界だから。
今は厄年だから。
『〜だからどうなんでしょう?』とたまに聞かれることがあるが、こればかりは私も『どうなんでしょうね?』としか答えようがない。
こうしたことは占い云々の話ではなく、物事の捉え方、生き方の問題のような気もする。
だいたい「厄」だの「殺」だの漢字が怖い。この期間に大きな事をしたら「あんた死ぬわよ」なんて言われたらさらに怖い。厄年は家族に『厄』が飛ぶなんて話はもうバイオハザードだわ。
クワバラクワバラ。
いつか必ず命は終わる。病気は厄年でなくてもなる。良くないことなんていつだって起こりえる。むしろ知らない方が人生をイキイキと生きられるんじゃないだろうかと思う。
以前、家族で食事をしていたら店に車が突っ込んできて大破した窓ガラスが頭から降ってきたことがあったが、これは不運期だったのだろうか?
突っ込んだ席とは隣だったから私達は事なきを得た。我が家ではこれをミラクルラッキーと思っているぐらいだ。
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地球に生きる私たちが月の満ち欠けや太陽の強さで『時のサイクル』を感じているように、太陽系には自転公転の規則的な循環がある。運気のようなエネルギーにも一定の強弱のサイクルはあるでしょう。
しかし宇宙には吉凶の概念はないのだから、そのエネルギーでもたらされる出来事にラッキー、アンラッキーはない。
アンラッキーと感じる出来事は、これまでの凸凹の清算や、これからの生き方を再調整していく為のタイミングと思った方がよい。
季節の変わり目に衣替えをしなければ真冬に半袖で出歩いて体調を崩したり、真夏にダウンを着て熱中症になったりするわけで。生き方も成長に合わせて『衣替え』のように切り替えて、考え方や生活をニュースタイルにしていく必要がある。
病気も、事故も、離婚も、失業も、、、これを運気が悪い時だから起きたのだと思えてならないなら、今は停滞期だと静かにおとなしく数年過ごしておけばよい。どうしても気になるのだからこればかりはしょうがない。
そうは言っても、停滞期と言われれば私だって気になる。
でも、そんな思考がよぎった時は自分にこう言い聞かせている。
悪いことが起きないように、死なないように生きる為に生まれてきたんじゃない。
「死ぬまで一生懸命生きる」でしょ!
人間が頭で考えだした運の周期よりも、古代から人間がしてきたように自分の肌で感じたことを信じた方が自然。雨がふってきたら雨宿りして、濡れてしまったら着替えればよい。
もう夜なんか明けないんじゃないかと思っても、それでも陽はまた昇る。
台風が来てるけど、いま私の上は青空。
そんなもんよ。
運気とやらに振り回されずに、よりよい人生のスケジューリングの為に使ってくださいね。
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