酔っ払っていることの続き。


私は2018年の3月に大学を卒業して、今は金融機関に勤めている。毎日が最悪だ。今日は監査が入ったから特に最悪だった。そんな中、今日なぜ突然noteを始めたかというと、酔っ払っているからなのだけれど、(幾分冷めたなあ)今日は大学生活史上最も仲がいいと思っている友達の新居に遊びに行って、数時間だったけれど楽しい時間を過ごしたおかげで気分がよくなったと同時に昔のことも思い出してしまって、行き場のない気持ちを酔っ払った勢いでどうにかしたい、と思ったからなのだと思う。

私自身、彼とは本当に仲がいいと思っている、今でも。私は、どんな事情があっても生理的に無理な人と、どんな事情があってもどうしても嫌いになれない人がいるような気がしている。生理的に無理な人、あまり出会ったことないけれど。これは私の願望だけど、彼は後者で、当時彼とは本当に気が合って、大学に進学してみると、こんなに仲が良い気のあう友達、もしくはそれ以上になりかねない人に出会えるんだ、と思った、そんな人だった。卒業してからは会わない日が長くて、あんまり意識しなかったけど、そういう人がいるといないとでは、生活が全然違うよね。

久しぶりに会ったとはいえ、今は生活リズムの全く噛み合わない人だけれど、やっぱり会うと、本当に仲が良かった頃のことを思い出しちゃう。実際、今は昔みたいに話せないんだけど、音楽は、やっぱりそういう瞬間の媒介になる。

正直、彼のことが好き、もしくは気になっている時代があった。そんな時彼も私のことを気にかけてくれているのか、と感じた時もあって、でも諸事情、タイミングでうまくいかなくて、ずっと友達だった。

そんな彼とずっと一緒に聴いたのがカネコアヤノだった。一緒にギターで演奏したし、カラオケでもハモったし、レコ発にもいった。誕生日プレゼントでもらったのも、カネコアヤノの限定盤の『群れたち』というCDだった。一足先に社会人になった私に、ちょっと距離を感じていたのかな。今そのアルバムを聴くと、なんとなく一歩遠慮した、そういう感情と共に思い出される。

入社したて当時、そんな彼と奥多摩にドライブに行くことになった。当時何かしらの罪悪感を抱いてた私は、『旅行』という曲を聴くと、本当にダメになってしまったし、今思い出されるのも彼と過ごした景色に塗り変わってしまう。

ボーナストラック『旅行』の歌詞に出てくる「君」は、聴く人によっても、タイミングによっても全然変わってくる。当時は彼と聴きながら、その時好だった人を思い出したこともあったし、今となっては、年上の彼と付き合いながら、「君」は君だったりする。うーん、だから嫌われちゃうんだい。

とにかく、『君と旅行に行くんだな、星はきれいかな』という歌詞は、本当に素晴らしい。君は本当に好きな君かも知れないし、そうじゃないかもしれない。私の思い出の中に生きる君が、『君』なのか、現実に旅行に行く君が『君』なのか。こんなわがままなことは私しか経験していないかもしれないけれど、ひとりのしょうもない人間に「あなたの今の君はどっち?」と選択肢を与えたり、ハッとさせるなんて、本当にすごいことなんだと思う。だけどどちらがの『君』が正しいかなんていうのは、感傷的になるんじゃなくて、いつか自分がちゃんと決めたいな。

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