世界は分たれて、未来は輝いている

……しかしそれでも、私たちの元に訪れるのは昨日までと変わらない日常なのです。だから皆さん、恐れないで。喪ってしまったかもしれない物に想いを馳せないで。きっとそれだけが、私たちに残された歩むべき道なのです……。

ラジオから流れる託宣が僕らの間を裂いていたから、僕はラジオを掴んで、目下に広がるグラウンドに向かって投げつけた。錆びた銀色のラジオから流れる声はドップラー効果で低くなり、やがて硬質のプラスチックが地面にぶつかる音がして、止まった。
明日花が僕の肩を小突いた。
「下に誰かいたらどうすんのよ」
「誰も居ないさ。居ても構わない。分水嶺の影響だって言えば、分かりやしない」
「なんでも分水嶺のせいにしないでよ。まるでお父さんみたい」
「そういやどうなったんだ。お父さんの浮気の話」
「まるでだめね。きっと上手くいく、の一点張り。時間が解決してくれるって、そう思ってるのよ」
「賭けに出たんだな」
「分の悪い賭けにね。分水嶺なんて本当にあるかどうか分からないのに」
「分水嶺が無いとなると、僕はラジオをグラウンドに投げたことで先生に叱られてしまう」
「それは、どっちみち叱られるんじゃない。あれ、どうなるのかな?叱られないのかも。叱られるのかもしれない」
「分水嶺があるなら、ラジオを投げたのはなかった事になるんじゃないのかな。二人でやった事だから」
「あなたがした事よ」
「二人でやった」
「…そうね、二人で投げたかもしれない」
しばらく、沈黙。やがて明日花から切り出した。
「私たち、周りと比べても結構続いた方じゃない」
「続いたと言うのかな。僕たち何度も別れてる」
「そして、何度も告白してる。結局、あなたが一番だって」
「物は言いよう」
「全ては捉え様」
「何度も冷めて、何度も燃え上がった。そういうこと?」
「ええ、仔細は省いて」
「それじゃまるで過去に起きた出来事みたいだ」
「過去の出来事じゃない」
「過去じゃない」
「というと?」
「僕は今でも覚えてる。君はカラオケボックスで、大学に進学した先輩とキスをしたんだって、明日花の友達が耳打ちしてくれた」
「あの時は、仕方なかったのよ」
「分かってる。でも君も分かっているのかな。例えどんな理由があろうともそれは僕に対しての裏切りだって」
「その話は何度もして、何度も謝ったじゃない」
「そうだね」
「分水嶺を前にして、そんなことしか言えない訳?」
「僕は、君をなじりたかった訳じゃないんだ」
「そうなの?」
「僕たちは、愛し合って、憎しみあって、なんだかんだあって、結局こうして二人でいる」
「ええ、そうね」
「過去じゃないんだ。過ぎた事じゃないんだ。僕たちのことを構成する要素に、今まであった色んな楽しいことや、悲しいことが関わっている」
「分かってる」
「分水嶺を越えたら、それらは全てどうなる?」
「どうなるのかしら」
「どうなるのか分からない。僕たちの時間は、僕たちの手に委ねられていない。僕にとっては、それが一番悲しい」
「やめてよ。私は分水嶺を受け入れてるんだから」
「受け入れなくてもいい」
「やめてってば」
「君がやめろって言うなら、僕は続ける」
「私と喧嘩したい訳?」
「実の所、なんだっていいんだ。君が僕を嫌いになったっていいんだ。僕は、君と話したい。君のいる世界にいたい。僕の居ない世界にいってほしくない。君を喪いたくない。僕を喪ってほしくない──」
視界が一瞬歪み、やがてラジオから滑らかに音声が流れてきた。
……私たちは無事に分水嶺を越え輝かしい未来に到達しました。懐かしくも新たなこの世界では、淘汰も、資源不足も、人口過剰も存在しないのです……。
どうやら僕は、分水嶺を、つつがなく迎えてしまったらしい。僕はラジオの電源を切ってポケットにしまった。

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