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気にし過ぎ・ペシミスティックをいかにして乗り越えるか──論理で感情を制御するという一計

 私はかなりペシミスティックな人間であるので、些細なことを気にしてしまって傷つき、ひとり反省会をして傷つき……という非常に面倒臭い性格だという自覚がある。

 そんな私は「嫌なことがあったとしても、それを気にしてもしょうがない。前を向くんだ」みたいなメッセージだったりポエムだったりにかけらも共感できた試しがない。「気にしないで前を向く」みたいなことを地で行えるのは、そういった思考回路を持った人間だからできることであり、そうでない人間の立場に本当の意味で立った言葉でないと感じているからである。

 だから、SNS上のそいういった言葉に「共感しました!」「これで明日から頑張れます!」だなんて言っているような人は元々そういった要素がその人に内在しているのを、外からの言葉で自覚させられたに過ぎないのだと思う。それがいわゆる精神における強者性みたいなもので、私は精神的に言えば弱者の部類なのだろう──そんなことを鬱々と考えていたわけだ。

 勘違いしないでほしいのは、これはそういった人々に対する「お気楽ですね」的な皮肉ではないということだ。私はそういった思考の仕方をできる人間を本当の意味で羨ましがっているし、なんならそうでありたかったなぁという憧れめいた気持ちすら抱いている。本当だ。

 ただ、そんなことをぐちぐち言っていても始まらねぇなぁというのも現実としてあって。だから色んなサイトとかを読みつつ、どういった言葉なら自分を納得させられるかを考え続けてきた。

 で、最近やっと自分のそういったペシミスティックさみたいなところに、完全ではないにせよ折り合いの付け方みたいなものを見出したので記事にしようと思った次第だ。

 まず、考え方が変わったきっかけはメンタリストDaiGoさんのこの動画だった。

 私は共感や感情というより、理論や理屈上での納得によらないと本当の意味で考え方の変化が起こらないタイプなので、文献などに紐付けてライフハックを投稿しているDaiGoさんの動画はしばしば視聴させていただいているのだが、この動画はとくに“刺さった”。

 目の前のやらなくてはならないワンアクションから目をそらすために、不安感を募らせる。そして、そのことをどこか肯定的に捉えている自分がいる──本当に、その通りだった。

 私はどこか不安感の強さを慎重さと置き換えている節があったし、目の前の施策に関してどこか逃避的な癖があった。それは自分の成長や人生を阻害してるものなのだと、これまでは認められなかったのになぜだかストンと落ちたのである。

 そして、もうひとつのきっかけは就活であったと思う。就活は人生を見つめ直すいい機会だ。本当に自分が実現したい未来は何か、そして興味があることは何か──それを深掘りする中で、段々と空想上の存在だった“未来”が輪郭を帯びた体感がある。

 正直これまで私は文章さえ書ける仕事に就ければいいと思っていたのだが、社会構造や社会問題についての興味を深掘りしているうちに、社会に蔓延る課題の解決に少しでも与できれば──と考えるようになった。以前は自分のことしか考えていなかったので、これは大した進歩だと思う。

 ただ、社会の問題ってこれまで私より賢い何千何万……あるいは何億もの人間が挑んで失敗しているからこうして問題として残っている訳で、それに与するってなると生半可なことではいかないはずだ。だからこそきっと必要になるのは、いわゆる強者性みたいなところだろうと考えるようになった。弱者の思考回路を理解できて、事態を把握できたところで、強さがなければ人を動かすことはできないのだから。つまり、目標が定まったことで、「なんだ、これ、うじうじしている場合じゃねぇぞ」となってしまった訳だ。

 DaiGoさんは他の動画の中で「嫌な現状を変えたくて、自分の嫌なところを全て書き出して、それと真逆の行動をしてみた」と語っている。それはつまり「今よりいい状況を作り出すために必要なことを要素化して実行した」ということで、それは結果成功している。

 ここまで語ってきたが、大事なのって結局「目標を設定して、それに対して必要なものを逆算して身につける努力」なんだなっていう納得をしたという話。就活でよく言われる話ではあるけど(笑)。

 ただそれはスキルのみならず、メンタルにおいても言える話だろうということだ。一般にメンタルについての話をする際には「前を向いた方が人生がうまくいくから」とか「成功している人は振り返らない」みたいな漠然とした理論で片付けられがちだ。ただ、ロジックで解決するタイプは「目標達成のためにはメンタルの強靭さが必要だから」という考え方をするのも一案なのかもしれない。

 まだ私自身もメンタルの制御を完全に習得した訳ではないが、「メンタルの道具化」がやがて感情制御の打開策のひとつとなることを信じて、思考し続けたい。


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